衞一人、麥煎餅を五錢代許り買つて遣つて來た。大體の話は爲て了つたので、此夜は主に重兵衞の方から、種々の問を發した。それが、人間は死ねば奈何なるとか、天理教を信ずるとお寺詣りが出來ないとか、天理王の命も魚籃觀音の樣に、假に人間の形に現れて蒼生《ひと》を濟度する事があるとか、概して教理に關する問題を、鹿爪らしい顏をして訊くのであつたが、松太郎の煮え切らぬ答辯にも多少得る所があつたかして、
『然うするとな、先生、(と、此時から松太郎を恁う呼ぶ事にした、)俺にも餘程天理教の有難え事が解つて來た樣だな。耶蘇は西洋、佛樣は天竺、皆《みんな》渡來物《わたりもの》だが、天理樣は日本で出來た神樣だなッす?』
『左樣さ。兎角自國のもんでないと惡いでな。加之《それに》何なのぢや、それ、國常立尊《くにとこたちのみこと》、國狹槌尊《くにさづちのみこと》、豐斟渟尊《とよくにのみこと》、大苫邊尊《おほとのべのみこと》、面足尊《おもたるのみこと》惺根尊《かしこねのみこと》、伊弉諾尊《いざなぎのみこと》、伊弉册尊《いざなみのみこと》、それから大日靈尊《おおひるめのみこと》、月夜見尊《つきよみのみこと》、この十柱の神樣は
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