松太郎も勸められて一本買つた。)――その二人は既《も》う發《た》つて了つて穢ない室の、補布《つぎ》だらけな五六の蚊帳の隅つこに、脚を一本蚊帳の外に投出して、仰《あふの》けに臥てゐた。と、渠は、前夜同じ蚊帳に寢た女の寢息や寢返りの氣勢《けはい》に酷《ひど》く弱い頭を惱まされて、夜更まで寢附かれなかつた事も忘れて、慌てゝ枕の下の財布を取出して見た。變りが無い。すると又、突然褌一つで蚊帳の外に跳び出したが、自分の荷物は寢る時の儘で壁側にある。ホッと安心したが、猶念の爲に内部を調べて見ると、矢張變りが無い。「フフヽヽ」と笑つて見た。
「さて、何う爲ようかな?」恁う渠は、額に八の字を寄せ、夥しく蚊に喰はれた脚や、蚤に攻められて一面に紅らんだ横腹《よこつぱら》を自暴《やけ》に掻き乍ら、考へ出した。昨日着いた時から、火傷《やけど》か何かで左手の指が皆内側に曲つた宿の嬶の待遇振《もてなしぶり》が、案外親切だつたもんだから、松太郎は理由もなく此村が氣に入つて、一つ此地《ここ》で傳道して見ようかと思つてゐたのだ。
「さて、何う爲ようかな?」恁う何回も何回も自分に問うて見て、仲々決心が附かない。「奈何《どう
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