な、何れも皆立派な美徳を具へた神樣達ぢやが、わが天理王の命と申すは、何と有難い事でな、この十柱の神樣の美徳を悉皆具へて御座る。』
『成程。それで何かな、先生、お前樣は一人でも此村に信者が出來ると、何處へも行かねえつて言つたけが、眞箇《ほんと》かな? それ聞かねえと飛んだブマ見るだ。』
『眞箇ともさ。』
『眞箇かな?』
『眞箇ともさ。』
『愈々眞箇かな?』
『ハテ、奈何して嘘なもんかなア。』と言ひは言つたが、松太郎は餘り冗く訊かれるので何がなしに二の足を踏みたくなつた。
『先生、そンだらハア。』と、重兵衞は、突然膝を乘出した。『俺が成つてやるだ。今夜から。』
『信者にか?』と、鈍い眼が俄かに輝く。
『然うせえ。外に何になるだア!』
『重兵衞さん、そら眞箇かな?』と、松太郎は筒拔けた樣な驚喜の聲を放つた。三日目に信者が出來る、それは渠の豫想しなかつた所、否、渠は何時、自分の傳道によつて信者が出來るといふ確信を持つた事があるか?
この鍛冶屋の重兵衞といふのは、針の樣な髯を顏一面にモヂャ/\さした、それは/\逞しい六尺近い大男で、左の眼が潰れた、『眇目鍛冶《めつこかぢ》』と子供等が呼ぶ。齡は今年五十二とやら、以前十里許り離れた某町に住つてゐたが、鉈、鎌、鉞などの荒道具が得意な代り、此人の鍛《う》つた包丁は刄《は》が脆いといふ評判、結局は其土地を喰詰めて、五年前にこの村に移つた。他所者といふが第一、加之《それに》、頑固で、片意地で、お世辯一つ言はぬ性なもんだから、兎角村人に親しみが薄い。重兵衞はそれが平常《ひごろ》の遺恨で、些つとした手紙位は手づから書けるのを自慢に、益々頭が高くなつた。規定《きまり》以外の村の費目《いりめ》の割當などに、最先に苦情を言ひ出すのは此人に限る。其處へ以て松太郎が來た。聽いて見ると間違つた理窟でもなし、村寺の酒飮和尚《さけのみをしやう》よりは神々の名も澤山に知つてゐる。天理樣の有難味も了解《のみこ》んで了解《のみこ》めぬことが無ささうだ。好矣《よし》、俺が一番先に信者になつて、村の衆の鼻毛を拔いてやらうと、初めて松太郎の話を聽いた晩に寢床の中で度胸を決めて了つたのだ。尤も、重兵衞の遠縁の親戚が二軒、遙《ずつ》と隔つた處にゐて、既《とう》から天理教に歸依してるといふ事は、豫て手紙で知つてもゐ、一昨年の暮弟の家に不幸のあつた時、その親戚からも人が來て
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