\》と説いたものだ。
『ハハア、そのお人も矢張りお嫁樣に行つたのだなツす?』と、乳兒を抱いて來た嬶が訊いた。
『左樣さ。』と松太郎は額の汗を手拭で拭いて、『お美支樣が丁度十四歳に成られた時にな、庄屋敷村のお生家《うち》から、三眛田村の中山家へ御入輿《おこしいれ》に成つた。有難いお話でな。その時お持になつた色々の調度、箪笥、長持、總てで以て十四荷――一荷は擔ぎで、畢竟《つまり》平たく言へば十四擔ぎあつたと申す事ぢや。』『ハハア、有り難い事だなツす。』と、飛んだところに感心して、『ナントお前樣、此地方《ここら》ではハア、今の村長樣の嬶樣でせえ、箪笥が唯三竿――、否《うんにや》全體《みんな》で三竿でその中の一竿はハア、古い長持だつけがなッす。』
 二日目の晩は嬶共は一人も見えず、前夜話半ばに居眠をして行つた子供連と、鍛冶屋の重兵衞、三太が二三人朋輩を伴れて來た。その若者が何彼《なにか》と冷評《ひやか》しかけるのを、眇目《めつかち》の重兵衞が大きい眼玉を剥いて叱り附けた。そして、自分一人夜更まで殘つた。
 三日目は、午頃來《ひるごろから》の雨、蚊が皆家の中に籠つた點燈頃《ひともしごろ》に、重兵衞一人、麥煎餅を五錢代許り買つて遣つて來た。大體の話は爲て了つたので、此夜は主に重兵衞の方から、種々の問を發した。それが、人間は死ねば奈何なるとか、天理教を信ずるとお寺詣りが出來ないとか、天理王の命も魚籃觀音の樣に、假に人間の形に現れて蒼生《ひと》を濟度する事があるとか、概して教理に關する問題を、鹿爪らしい顏をして訊くのであつたが、松太郎の煮え切らぬ答辯にも多少得る所があつたかして、
『然うするとな、先生、(と、此時から松太郎を恁う呼ぶ事にした、)俺にも餘程天理教の有難え事が解つて來た樣だな。耶蘇は西洋、佛樣は天竺、皆《みんな》渡來物《わたりもの》だが、天理樣は日本で出來た神樣だなッす?』
『左樣さ。兎角自國のもんでないと惡いでな。加之《それに》何なのぢや、それ、國常立尊《くにとこたちのみこと》、國狹槌尊《くにさづちのみこと》、豐斟渟尊《とよくにのみこと》、大苫邊尊《おほとのべのみこと》、面足尊《おもたるのみこと》惺根尊《かしこねのみこと》、伊弉諾尊《いざなぎのみこと》、伊弉册尊《いざなみのみこと》、それから大日靈尊《おおひるめのみこと》、月夜見尊《つきよみのみこと》、この十柱の神樣は
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