は》だしいと言わねばならぬ。その結果は、啻《ただ》に道徳上の破産であるのみならず、凡ての男女関係に対する自分自身の安心というものを全く失って了わねば止《や》まない、乃《すなわ》ち、自己その物の破産である。問題が親子の関係である際も同《おなじ》である。

        二

 右の例は、一部の人々ならば「近代的」という事に縁が遠いと言われるかも知れぬ。そんなら、この処に一人の男(仮令《たとえ》ば詩を作る事を仕事にしている)があって、自分の神経作用が従来の人々よりも一層鋭敏になっている事に気が付き、そして又、それが近代の人間の一つの特質である事を知り、自分もそれらの人々と共に近代文明に醸《かも》されたところの不健康(には違いない)な状態にあるものだと認めたとする。それまでは可い。もしもその際に、近代人の資格は神経の鋭敏という事であると速了《そくりょう》して、あたかも入学試験の及第者が喜び勇んで及第者の群に投ずるような気持で、(その実落第者でありながら。――及第者も落第者も共に受験者である如く、神経組織の健全な人間も不健全な人間も共に近代の人間には違いない)その不健全を恃《たの》み、かつ誇
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