である際でも、決して小さい損ではないと言うのである。
 妻を有ちながら、他の女に通ぜねばならなくなった、或《あるい》はそういう事を考えねばならなくなった男があるとする。そして、有妻の男子が他の女と通ずる事を罪悪とし、背倫《はいりん》の行為とし、唾棄《だき》すべき事として秋毫《しゅうごう》寛《ゆる》すなき従来の道徳を、無理であり、苛酷《かこく》であり、自然に背《そむ》くものと感じ、本来男女の関係は全く自由なものであるという原始的事実に論拠して、従来の道徳に何処《どこ》までも服従すべき理由とては無いのだと考えたとする。其処《そこ》までは可《い》い。もしもその際、問題の目的が「然《しか》らば男女関係の上に設くべき、無理でなく、苛酷でなく、自然に背くものでないところの制約はどんなものであらねばならぬか」という事であるのを忘れて了《しま》って、既に従来の道徳は必然服従せねばならぬものでない以上、凡《すべ》ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、乃至《ないし》は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍《あわ》れむに至っては、性急《せっかち》もまた甚《はな
前へ 次へ
全10ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング