海、ああこの大陸的な未開の天地は、いかに雄心勃々《ゆうしんぼつぼつ》たる天下の自由児を動かしたであろう。彼らは皆その住み慣れた祖先|墳墓《ふんぼ》の地を捨てて、勇ましくも津軽の海の速潮を乗りきった。
予もまた今年の五月の初め、漂然《ひょうぜん》として春まだ浅き北海の客となった一人である。年若く身は痩《や》せて心のままに風と来り風と去る漂遊の児であれば、もとより一攫千金《いっかくせんきん》を夢みてきたのではない。予はただこの北海の天地に充満する自由の空気を呼吸せんがために、津軽の海を越えた。自由の空気! 自由の空気さえ吸えば、身はたとえ枯野の草に犬のごとく寝るとしても、空長しなえに蒼《あお》く高くかぎりなく、自分においていささかの遺憾《いかん》もないのである。
初めて杖を留めた凾館《はこだて》は、北海の咽喉《のど》といわれて、内地の人は函館を見ただけですでに北海道そのものを見てしまったように考えているが、内地に近いだけそれだけほとんど内地的である。新開地の北海道で内地的といえば、説明するまでもなく種々の死法則のようやく整頓《せいとん》されつつあることである。青柳町の百二十余日、予はつ
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