いに満足を感ずることができなかった。
八月二十五日夜の大火は、函館における背自然の悪徳を残らず焼き払った天の火である。予は新たに建てらるべき第二の函館のために祝福して、秋風とともに焼跡を見捨てた。
札幌に入って、予は初めて真の北海道趣味を味うことができた。日本一の大原野の一角、木立の中の家|疎《まばら》に、幅広き街路に草|生《は》えて、牛が啼く、馬が走る、自然も人間もどことなく鷹揚《おうよう》でゆったりして、道をゆくにも内地の都会風なせせこましい歩きぶりをしない。秋風が朝から晩まで吹いて、見るもの聞くもの皆おおいなる田舎町の趣きがある。しめやかなる恋のたくさんありそうな都、詩人の住むべき都と思うて、予はかぎりなく喜んだのであった。
しかし札幌にまだ一つ足らないものがある、それはほかでもない。生命の続く限りの男らしい活動である。二週日にして予は札幌を去った。札幌を去って小樽《おたる》に来た。小樽に来て初めて真に新開地的な、真に植民的精神の溢《あふ》るる男らしい活動を見た。男らしい活動が風を起す、その風がすなわち自由の空気である。
内地の大都会の人は、落し物でも探すように眼をキョロ
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