た、言葉に西國の訛りのある人であつた。娘が二人、妹の方はまだ十三で、背のヒョロ高い、愛嬌のない寂しい顏をしてゐる癖に、思ふ事は何でも言ふといつた樣な淡白《きさく》な質で、時々間違つた事を喋つては衆《みんな》に笑はれて、ケロリとしてゐる兒であつた。
 姉は眞佐子と言つた。その年の春、さる外國人の建ててゐる女學校を卒業したとかで、體はまだ充分發育してゐない樣に見えた。妹とは肖《に》ても肖つかぬ丸顏の、色の白い、何處と言つて美しい點《ところ》はないが、少し藪睨みの氣味なのと片笑靨のあるのとに人好きのする表情があつた。女學校出とは思はれぬ樣な温雅《しとや》かな娘で、絶え/″\な聲を出して讃美歌を歌つてゐる事などがあつた。學校では大分宗教的な教育を享けたらしい。母親は、妹の方をば時々お轉婆だ/\と言つてゐたが、姉には一言も小言を言はなかつた。
 その外に遠い親戚だという眇目《すがめ》な男がゐた。警察の小使をした事があるとかで、夜分などは『現行警察法』といふ古い本を繙いてゐる事があつた。その男が内儀さんの片腕になつて家事萬端立働いてゐて、娘の眞佐子はチョイ/\手傳ふ位に過ぎなかつた。何でも母親の心にしては、末の手頼《たより》にしてゐる娘を下宿屋の娘らしくは育てたくなかつたのであらう。素人屋によくある例で、我々も食事の時は一同茶の間に出て食卓を圍んで食ふことになつてゐたが、内儀はその時も成るべく娘には用をさせなかつた。
 或朝、私が何か搜す物があつて鞄の中を調べてゐると、まだ使はない繪葉書が一枚出た。青草の中に罌粟《けし》らしい花が澤山咲き亂れてゐる、油繪まがひの繪であつた。不圖、其處へ妹娘の民子が入つて來て、
『マア、綺麗な…………』
と言つて覗き込む。
『上げませうか?』
『可《よ》くつて?』
 手にとつて嬉しさうにして見てゐたが、
『これ、何の花?』
『罌粟《けし》。』
『恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》花、いつか姉ちやんも畫《か》いた事あつてよ。』
 すると、其日の晝飯の時だ。私は例の如く茶の間に行つて同宿の人と一緒に飯を食つてゐると、風邪の氣味だといつて學校を休んで、咽喉に眞綿を捲いてゐる民子が窓側で幅の廣い橄欖《オリーブ》色の飾紐《リボン》を弄つてゐる。それを見付けた母親は、
『民イちやん、貴女何ですそれ、また姉さん
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