う場末の、通り少なき広い街路《まち》は森閑として、空には黒雲が斑らに流れ、その間から覗いてゐる十八九日許りの月影に、街路に生えた丈低い芝草に露が光り、虫が鳴いてゐた。家々の窓の火光《あかり》だけが人懐かしく見えた。
『あゝ、月がある!』然う言つて私は空を見上げたが、後藤君は黙つて首を低《た》れて歩いた。痛むのだらう。吹くともない風に肌が緊《しま》つた。
その儘少し歩いて行くと、区立の大きい病院の背後《うしろ》に出た。月が雲間に隠れて四辺《あたり》が蔭つた。
『やアれ、やれやれやれ――』といふ異様の女の叫声が病院の構内から聞えた。
『何だらう?』と私は言つた。
『狂人《きちがひ》さ。それ、其処にあるのが(と構内の建物の一つを指して、)精神病患者の隔離室なんだ。夜更になると僕の下宿まで那《あ》の声が聞える事がある。』
その狂人共が暴れてるのだらう、ドン/\と板を敲く音がする。ハチ切れた様な甲高い笑声がする。
『畳たゝいて此方《こち》の人《ひとオ》――これ、此方《こち》の人、此方《こち》の人ツたら、ホホヽヽヽヽ。』
それは鋭い女の声であつた。私は足を緩めた。
『狂人の多くなつた丈、我々
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