々入込んだ為に、札幌にも小樽にも既《も》う一軒の貸家も無いといふ噂もあり、且は又、先方《むかう》へ行つて直ぐ家《うち》を持つだけの余裕も無しするから、家族は私の後から一先づ小樽にゐた姉の許《もと》へ引上げる事にした。
 九月十何日かであつた。降り続いた火事後の雨が霽《あが》ると、伝染病発生の噂と共に底冷《そこびえ》のする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何万の人は、言ひ難き物の哀れを一様に味つてゐた。市街の大半を占めてゐる焼跡には、仮屋《かりや》建ての鑿《のみ》の音が急がしく響き合つて、まだ何処となく物の燻《くすぶ》る臭気《にほひ》の残つてゐる空気に新らしい木の香が流れてゐた。数少い友人に送られて、私は一人夜汽車に乗つた。
 翌暁《あくるあさ》小樽に着く迄は、腰下す席もない混雑で、私は一夜《ひとばん》車室の隅に立ち明した。小樽で下車して、姉の家で朝飯を喫《したた》め、三時間許りも仮寝《うたたね》をしてからまた車中の人となつた。車輪を洗ふ許りに涵々《ひたひた》と波の寄せてゐる神威古潭《かむゐこたん》の海岸を過ぎると、銭函駅に着く。汽車はそれから真直《ましぐら》に石狩の平原に進んだ。
 未
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