りさま》は、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引《ひきつ》ける。一年なり、二年なり、何時かは行つて住んで見たい様に思ふ。
私が初めて札幌に行つたのは明治四十年の秋風の立初《たちそ》めた頃である。――それまで私は函館に足を留《と》めてゐたのだが、人も知つてゐるその年八月二十五日の晩の大火に会つて、幸ひ類焼は免れたが、出てゐた新聞社が丸焼になつて、急には立ちさうにもない。何しろ、北海道へ渡つて漸々《やうやう》四ヶ月、内地(と彼地《あちら》ではいふ。)から家族を呼寄せて家《うち》を持つた許りの事で、土地《ところ》に深い親みは無し、私も困つて了つた。其処へ道庁に勤めてゐる友人の立見君が公用|旁々《かたがた》見舞に来て呉れたので、早速履歴書を書いて頼んで遣り、二三度手紙や電報の往復があつて、私は札幌の××新聞に行く事に決つた。条件は余り宜《よ》くなかつたが、此際だから腰掛の積りで入つたがよからうと友人からも言つて来た。
私は少し許りの畳建具を他《ひと》に譲る事にして旅費を調へた。その時は、函館を発つ汽車汽船が便毎に「焼出され」の人々を満載してゐた頃で、其等の者が続
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