て、右の肩を揚げ、薄い下駄を引擦る様にして出て行つて了つた。「よく秘密にしたがる男だ!」と私は思つた。
私はその晩の事が忘られない。
夕飯が済むと、立見君と目形君は教会に行くと言つて、私にも同行を勧めた。私は社長の宅へ行く用があると言つて断つた。そして約束の時間に後藤君の下宿へ行つた。
座にはS――新聞の二面記者だといふ男がゐた。後藤君は私を其男に紹介《ひきあは》せた。私は、その男が所謂「秘密の相談」に関係があるのか、無いのか、一寸判断に困つた。片目の小さい、始終《しよつちゆう》唇を甜《な》め廻す癖のある、鼻の先に新聞記者がブラ下つてる様な挙動《やうす》や物言ひをする、可厭《いや》な男であつた。
少し経つと、後藤君は私に、
『君は既《も》う先に行つたのかと思つてゐた。よく誘つて呉れたね。』
これで了解《のみこ》めたから、私も可《いい》加減にバツを合せた。そして、
『まだ七時頃だらうね?』
『奈何《どう》して、奈何して、既《も》う君八時ぢやないか知ら。』
『待ち給へ。』とS――新聞の記者が言つて、帯の間の時計を出して見た。『七時四十分。何処かへ行くのかね?』
『あゝ、七時半まで
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