時は、小樽へ帰る私の妻を停車場まで見送りに行つた真佐子も、今し方帰つた許りといふところであつた。その晩は、立見君は牧師の家に出かけて行つたので、私は室にゐて手紙などを書いた。茶の間からは女達の話声が聞える。真佐子は私の子供の可愛かつた事を頻りに数へ立てゝゐる、立見君の細君もそれに同じてはゐたが、何となく気の乗らぬ声であつた。


 翌日は社に出てから初めての日曜日、休みではないが、明くる朝の新聞は四頁なので四時少し前に締切になつた。後藤君はその日欠勤した。帰つて来て寝ころんでゐると、後藤君が相変らずの要領を得ない顔をして入つて来て、
『少し相談があるから、今夜七時半に僕の下宿へ来給へ。僕は他《よそ》を廻つてそれ迄に帰つてるから。』
と言つて出て行つた。直ぐ戻つて来て私を玄関に呼出すから、何かと思ふと、
『君、秘密な話だから、一人で来てくれ給へ。』
『好し。一体何だね? 何か事件が起つたのかね?』
『君、声が高いよ。大に起つた事があるさ。吾党の大事だ。』と、黄色い歯を出しかけたが、直ぐムニヤ/\と口を動かして、『兎に角来給へ。成るべく僕の処へ来るのを誰にも知らせない方が好いな。』
 そし
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