水準2−94−57]《こんな》花、いつか姉ちやんも画《か》いた事あつてよ。』
すると、其日の昼飯の時だ。私は例の如く茶の間に行つて同宿の人と一緒に飯を食つてゐると、風邪の気味だといつて学校を休んで、咽喉に真綿を捲いてゐる民子が窓側で幅の広い橄欖色《オリイヴいろ》の飾紐《リボン》を弄《いぢく》つてゐる。それを見付けた母親は、
『民イちやん、貴女何ですそれ、また姉さんの飾紐を。』
『貰つたの。』とケロリとしてゐる。
『嘘ですよウ。其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》色はまだ貴女に似合ひませんもの、何で姉さんが上げるものですか?」
『真箇《ほんと》。ホラ、今朝島田さんから戴いた綺麗な絵葉書ね、姉ちやんがあれを取上げて奈何《どう》しても返さないから、代りに此を貰つたの。』
『そんなら可いけれど、此間《こなひだ》も真佐アちやんの絵具を那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》にして了うたぢやありませんか?」
私は列んでゐた農科大学生と話をし出した。
それから、飯を済まして便所に行つて来ると、真佐子は例《いつも》の場所《ところ》に坐つて、(其処は私の室の前、玄関から続きの八畳間で、家中の人の始終《しよつちゆう》通る室だが、真佐子は外に室がないので、其処の隅ツコに机や本箱を置いてゐた。)編物に倦きたといふ態《ふう》で、片肘を机に突き、編物の針で小さい硝子の罎に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]した花を突ついてゐた。豌豆《ゑんだう》の花の少し大きい様な花であつた。
『何です、その花?』と私は何気なく言つた。
『スヰイトビインです。』
よく聞えなかつたので聞直すと、
『あの、遊蝶花とか言ふさうで御座います。』
『さうですか。これですかスヰイトビインと言ふのは。』
『お好きで被入《いらつしや》いますか?』
『さう! 可愛らしい花ですね。』
見ると、耳の根を仄《ほん》のり紅くしてゐる。私は其儘室に入らうとすると、何時の間にか民子が来て立つてゐて、
『島田さん、もう那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》絵葉書無くつて?』
『有りません。その内にまた好《い》いのを上げませう。』
『マア、お客様に其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》事言ふと、母さんに叱られますよ。』
と、姉が妹を譴《たしな》める。
『ハハヽヽ。』と軽く笑つて、私は室に入つて了つた。
『だつて、切角戴いたのは姉ちやんが取上げたんだもの……』と、民子が不平顔をして言つてる様子。
真佐子は、口を抑へる様にして何か言つて慰《なだ》めてゐた。
私は毎日午後一時頃から社に行つて、暗くなる頃に帰つて来る。その日は帰途《かへり》に雨に会つて来て、食事に茶の間に行くと、外の人は既《も》う済んで私|一人限《ひとりきり》だ。内儀は私に少し濡れた羽織を脱がせて、真佐子に切炉の火で乾《ほ》させ乍ら、自分は私に飯を装《よそ》つて呉れてゐた。火に翳した羽織からは湯気が立つてゐる。思つたよりは濡れてゐると見えて却々《なかなか》乾せない。好《い》い事にして私は三十分の余も内儀相手にお喋舌《しやべり》をしてゐた。
その翌日、私の妻が来た。既《も》う函館からは引上げて小樽に来てゐるのであるが、さう何時までも姉の家に厄介になつても居られないので、それやこれやの打合せに来たのだ。私の子供は生れてやつと九ヶ月にしかならなかつたが、来ると直ぐ忘れないでゐて私に手を延べた。
が、心がけては居たつたが、空家、せめて二間位の空間と思つても、それすら有りさうになかつた。困つて了つて宿の内儀に話をすると、
『然うですねえ。それでは恁《か》うなすつちや如何でせう、貴方のお室は八畳ですから、お家の見付かるまで当分此処で我慢をなさる事になすつては? さうなれば目形さんには別の室に移つて頂くことに致しますから。何で御座いませう、貴方方もお三人|限《きり》……?』
『まだ年老つた母があります。外にもあるんですが、それは今直ぐ来なくても可いんです。』
『マア然うですか、阿母《おつか》さんも御一緒に! ……それにしても立見さんの方よりは窮屈でない訳ですわねえ、当分の事ですから。』
話はそれに決つて、妻は二三日中に家財を纏めて来ることになつた。女同志は重宝なもので、妻は既う内儀と種々|生計向《くらしむき》の話などをしてゐる。
真佐子は、妻の来るとから私の子供を抱いて、のべつに頬擦りをし乍ら、家の中を歩いたり、外へ行つたりしてゐた。泣き出しさうにならなければ妻の許《ところ》に伴れて来ない。
『
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