浪狂ふ
弦月遠きかなたの旅順口。


  眠れる都

(京に入りて間もなく宿りける駿河台の新居、窓を開けば、竹林の崖下、一望甍《いらか》の谷ありて眼界を埋めたり。秋なれば夜毎に、甍の上は重き霧、霧の上に月照りて、永く山村僻陬《へきすう》の間にありし身には、いと珍らかの眺めなりしか。一夜興をえて匆々《さうさう》筆を染めけるもの乃《すなは》ちこの短調七聯《れん》の一詩也。「枯林」より「二つの影」までの七篇は、この甍の谷にのぞめる窓の三週の仮住居になれるものなりき)

鐘鳴りぬ、
いと荘厳《おごそか》に
夜は重し、市《いち》の上。
声は皆眠れる都
瞰下《みおろ》せば、すさまじき
野の獅子《しし》の死にも似たり。

ゆるぎなき
霧の巨浪《おほなみ》、
白う照る月影に
氷りては市を包みぬ。
港なる百船《ももふね》の、
それの如《ごと》、燈影《ほかげ》洩《も》るる。

みおろせば、
眠れる都、
ああこれや、最後《をはり》の日
近づける血潮の城か。
夜の霧は、墓の如、
ものみなを封じ込めぬ。

百万の
つかれし人は
眠るらし、墓の中。
天地《あめつち》を霧は隔てて、
照りわたる月かげは
天《あめ》の
前へ 次へ
全31ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング