のお政は私より二歳《ふたつ》年長《としうへ》、三番目一人を除いては皆女で、末ツ児は猶《まだ》乳《ち》を飲んでゐた。乳飲児を抱へて、大きい乳房を二つとも披《はだ》けて、叔母が居睡《ゐねむり》してる態を、私はよく見たものである。
五人の従同胞《いとこ》の中の唯一人の男児は、名を巡吉といつて、私より年少《としした》、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に火傷の痕の大きい禿のある児であつたが、村の駐在所にゐた木下といふ巡査の種だとかいふので、叔父は故意《わざ》と巡吉と命名《なづ》けたのださうな。其巡吉は勿論、何《ど》の児も何の児も汚ない扮装《みなり》をしてゐて、頸《くび》から手足から垢だらけ。私が行くと、毛虫の様な頭を振立てゝ、接踵《ぞろぞろ》出て来て、何れも母親に肖《に》た大きい眼で、無作法に私を見ながら、鼻を顰《しか》めて笑ふ奴もあれば、「何物《なに》持つて来たべ?」と問ふ奴もある。お政だけは笑ひもせず物も言はなかつた。私は小児心にも、何だか自分の威厳を蹂躙《ふみつけ》られる様な気がして、不快で不快で耐《たま》らなかつた。若しかして叔母に、遊んで行けとでも言はれると、不承不承に三分か五分、遊ぶ真似をして直ぐ遁《に》げて帰つたものだ。
私の母は、何時でも「那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《あんな》無精な女もないもんだ。」と叔母を悪く言ひながら、それでも猶何に彼《か》につけて世話する事を、怠らなかつた。或時は父に秘《かく》してまでも実家《さと》の窮状を援けた。
時としては、従同胞《いとこ》共が私の家へ遊びに来る。来るといつても、先づ門口へ来て一寸々々《ちよいちよい》内を覗きながら彷徨《うろうろ》してゐるので、母に声を懸けられて初めて入つて来る。其都度、私は左右《かにかく》と故障を拵へて一緒に遊ぶまいとする。母は憐愍《あはれみ》の色と悲哀《かなしみ》の影を眼一杯に湛へて、当惑気に私共の顔を等分に瞰下《みおろ》すのであつたが、結局矢張私の自由《わがまま》が徹《とほ》つたものである。
叔父は滅多に家に居なかつた。飲酒家《さけのみ》の癖で朝は早起であつたが、朝飯が済んでから一時間と家にゐる事はない。夜は遅くなつてから酔つて帰る。叔母や従同胞等《いとこら》は日が暮れて間もなく寝て了ふのだから、酔つた叔父は暗闇の
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