》で、尻の大きい、肥つた、夏時などは側《そば》へ寄ると臭気《にほひ》のする程無精で、挙動《ものごし》から言葉から、半分眠つてる様な、小児心にも歯痒《はがゆ》い位|鈍々《のろのろ》してゐた。毛の多い、真黒な髪を無造作に束ねて、垢染みた衣服《きもの》に細紐の検束《だらし》なさ。野良稼ぎもしないから手は荒れてなかつたけれど、踵は嘗て洗つた事のない程黒い。私が入つて行くと、
『謙助(私の名)さんすか?』
と言つて、懈《だる》さうに炉辺《ろばた》から立つて来て、風呂敷包みを受取つて戸棚の前に行く。海苔巻でも持つて行くと、不取敢《とりあへず》それを一つ頬張つて、風呂敷と空のお重を私に返しながら、
『お有難う御座《ごあ》んすてなツす。』
と懶げに言ふのである。愛想一つ言ふでなく、笑顔さへ見せる事がなかつた。
 顴骨《ほほぼね》の高い、疲労の色を湛へた、大きい眼のどんよりとした顔に、唇だけが際立つて紅かつた。其口が例外《なみはづ》れに大きくて、欠呻《あくび》をする度に、鉄漿《おはぐろ》の剥げた歯が醜い。私はつくづくと其顔を見てゐると、何といふ事もなく無気味になつて来て、怎うした連想なのか、髑髏《されかうべ》といふものは恁※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《こんな》ぢやなからうかと思つたり、紅い口が今にも耳の根まで裂けて行きさうに見えたりして、謂《い》ひ知れぬ悪寒《さむさ》に捉はれる事が間々あつた。
 古い、暗い、大きい家、障子も襖《からかみ》も破れ放題、壁の落ちた所には、漆黒《まつくろ》に煤けた新聞紙を貼つてあつた。板敷にも畳にも、足触りの悪い程|土埃《ほこり》がたまつてゐた。それも其筈で、此家の小児等は、近所の百姓の子供と一緒に跣足《はだし》で戸外《そと》を歩く事を、何とも思つてゐなかつたのだ。納戸の次の、八畳許りの室が寝室《ねま》になつてゐたが、夜昼蒲団を布いた儘、雨戸の開く事がない。妙な臭気が家中に漂うてゐた。一口に謂へば、叔父の家は夜と黄昏との家であつた。陰気な、不潔な、土埃の臭ひと黴の臭ひの充満《みちみち》たる家であつた。笑声と噪《はしや》いだ声の絶えて聞こえぬ、湿つた、唖の様な家であつた。
 その唖の様な家に、唖の児の時々発する奇声と、けたたましい小児等の泣声と、それを口汚なく罵る叔母の声とが、折々響いた。小児は五人あつた。唖
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