の男は未だ來てないと氣がついた。人々はよく私にも話しかけて呉れた。一座の中でも、背の低い、色の黒い、有るか無きかの髭を生やした、洋服|扮裝《いでたち》の醜男《ぶをとこ》が、四方八方に愛嬌を振舞いては、輕い駄洒落を云つて、顏に似合はぬ優しい聲でキャッ/\と笑ふ。
 十分許り經つて、「毎日」の西山社長と、私より一月程前に東京から來たといふ日下部編輯長とが入つて來た。日下部君は、五尺八寸もあらうかといふ、ガッシリした大男で、非常な大酒家だと聞いて居たが、如何樣《いかさま》眼は少しドンヨリと曇つて、服裝は飾氣なしの、新らしくも無い木綿の紋付を着て居た。
 西山社長は、主筆を兼ねて居るといふ事であつた。七子の羽織に仙臺平のりうとした袴、太い丸打の眞白な紐を胸高に結んだ態《さま》は、何處かの壯士芝居で見た惡黨辯護士を思出させた。三十五六の、面皰《にきび》だらけな細顏で、髭が無く、銀縁の近眼鏡をかけて居たが、眼鏡越に時々猜疑深い樣な目付をする。
『徐々《そろ/\》始めようぢやありませんか、大抵揃ひましたから。』
と、月番幹事の志田君、(先ほどから愛嬌を振舞つてゐた、色の黒い男)が云ひ出した。
 軈て
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