須藤氏が編輯局に來て居て、
『橘君は今日二日醉ぢやないか。』
と云つた。恰度《ちやうど》私が呆然《ぼんやり》と例の氣持になつて、向側の壁に貼りつけた北海道地圖を眺めて居た時なので、ハッとして、
『否《いいえ》』
と云つた儘、テレ隱しに愛想笑ひをすると、
『さうかえ、何だか氣持の惡さうな顏をして居るから、僕は又、何か市子に怨言《うらみ》でも言はれたのを思出してるかと思つた。』
と云つて笑つたが、
『君が然《さ》うして一生懸命働いてくれるのは可《い》いが。、其爲に神經衰弱でも起さん樣にして呉れ給へ。一體餘り丈夫でない身體《からだ》な樣だから。』
私は直ぐ腹の中でフフンと云ふ氣になつたが、可成《なるべく》平生《ふだん》の快活を裝《よそ》うて、
『大丈夫ですよ。僕は藥を飮むのが大嫌ひですから、滅多に病氣なんかする氣になりません。』
『そんなら可《い》いが、』と句を切つて、『最も、君が病氣したら、看護婦の代りに市子を頼んで上《あげ》る積りだがね、ハハハ。』
『そら結構です、何なら、チョイ/\病氣する事にしても可《い》いですよ。』
其日は一日、可成《なるべく》くすんだ顏を人に見せまいと思つて、
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