頻りに心にもない戲談を云つたが、其※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《そんな》事をすればする程、頭腦《あたま》が暗くなつて來て、筆が溢る、無暗矢鱈に二號活字を使ふ。文選小僧は「明日の新聞も景気が可《え》えぞ。」と工場で叫んで居た。
何故暗い陰影《かげ》に襲はれるか? 訝《いぶか》しいとは思ひ乍ら、私は別に深く其理由を考へても見なかつた。が、詰り私は、身體は一時間も暇が無い程忙がしいが、爲る事成す事思ふ壺に篏《はま》つて、鏡の樣に凪《な》いだ海を十日も二十日も航海する樣なので、何日しか精神《こころ》が此無聊に倦《う》んで來たのだ。西風がドウと吹いて、千里の夏草が皆|靡《なび》く、抗《さから》ふ樹もなければ、遮《さへぎ》る山もない、と、風は野の涯に來て自ら死ぬ。自ら死ぬ風の心を、若い人は又、春の眞晝に一人居て、五尺の軒から底無しの花曇りの空を仰いだ時、目に湧いて來る寂しみの雲に讀む。戀ある人は戀を思ひ、友ある人は友を懷ひ、春の愁と云はるる「無聊の壓迫」を享けて、何處かしら遁路を求めむとする。太平の世の春愁は、肩で風切る武士の腰の物に、態《わざ》と觸《
前へ
次へ
全56ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング