字函《ケース》を轉覆《ひつくりかへ》して家へ歸つたさうだとか云ふ噂が、一度や二度でなく私等の耳に入るけれど、それでも一日として新聞を休んだ事がない。唯八百の讀者では、いくら田舍新聞でも維持して行けるものでないのに、不思議な事には、職工の數だつて敢て「日報」より少い事もなく、記者も五人居た所へ、また一人菊池を入れた。私の方は千二百|刷《す》つて居て、外に官衙や銀行會社などの印刷物を一手に引受けてやつて居るので、少し宛積立の出來る月もあると、目の凹んだ謹直家《つゝましや》の事務長が話して居たが。……
 私は、這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》事情が解ると共に、スッカリ紙面の體裁を變へた。「毎日」の遣《や》り方は、喇叭節《ラッパぶし》を懸賞で募集したり、藝妓評判記を募つたり、頻りに俗受の好い様にと焦慮《あせ》つてるので、初め私も其向うを張らうかと持出したのを、主筆初め社長までが不賛成で、出來るだけ清潔な、大人らしい態度で遣れと云ふから、其積りで、記事なども餘程手加減して居たのだが、此頃から急に手を變へて、さうでもない事に迄「報知」式にドン/\
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