氣がつく。其頃私の姉の家では下宿屋をして居たが、其家に泊つて居た鬚……違ふ、アノ鬚なら氣仙《けせん》郡から來た大工だと云つて、二ケ月も遊んで喰逃して北海道へ來た筈だ。ト、以前私の居た小樽の新聞社の、盛岡生れだと云つた職工長の立派な髭[#「髭」は底本では「考」]が腦《あたま》に浮ぶ。若しかすると、菊池君は何時か私の生れた村の、アノ白澤屋とか云ふ木賃宿の縁側に、胡坐《あぐら》をかいて居た事がなかつたらうかと考へたが、これも甚だ不正確なので、ハテ、何處だつたかと、氣が少し苛々《いら/\》して來て、東京ぢやなかつたらうかと、無理な方へ飛ぶ。東京と言へば、直ぐ須田町――東京中の電車と人が四方から崩れる樣に集つて來る須田町を頭腦に描くが、アノ雜沓の中で、菊池君が電車から降りる……否、乘る所を、私は餘程遠くからチラリと後姿を……無理だ、無理だ、電車と菊池君を密接《くつつ》けるのは無理だ。……
『モウ起きなさいよ、十一時が打《ぶ》つたから。那※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《あんな》に寢てて、貴方何考へてるだべさ。』
と、取つて投げる樣な、癇高い聲で云つて、お芳
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