下げる。菊池がそれを憤慨して、入社した三日目に突然、社長の頬片《ほつぺた》を擲る。社長は蹣跚《よろ/\》と行つて椅子に倒れ懸りながら、「何をするツ」と云ふ。其頭にポカポカと拳骨が飛ぶ、社長は卓子《テーブル》の下を這つて向うへ拔けて拔萃《きりぬき》に使ふ鋏を逆手に握つて眞蒼な顏をして、「發狂したか?」と顫聲で叫ぶ。菊池君は兩手を上衣の衣嚢《ポケット》に突込んで、「馬鹿な男だ喃。」と吃る樣に云ひ乍ら、悠々と「毎日」を去る。そして其足で直ぐ私の所へ來て、「日報」に入れて呉れないかと頼む。――思はず聲を立てて私は笑つた。
が、此妄想から、私の頭腦に描かれて居る菊池君が、怎《どう》やら、アノ鬚で、權力の壓迫を春風と共に受流《うけなが》すと云つた樣な、氣概があつて、義に堅い、豪傑肌の、支那的色彩を帶びて現れた。私は、小い時に讀んだ三國史中の人物を、それか、これかと、此菊池君に當嵌《あては》めようとしたが、不圖、「馬賊の首領に恁※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》男は居ないだらうか。」と云ふ氣がした。
馬賊……滿州……と云ふ考へは、直ぐ「遠い」と云ふ
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