み足に急いで居た。荷馬橇の馬は、狹霧《さぎり》の樣な呼氣《いき》を被《かぶ》つて氷の玉を聨ねた鬣《たてがみ》を、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。
二三日して私は、洲崎町の或下宿へ移つた。去年の春までは、土地で少しは幅を利かしたさる醫師の住つて居た家とかで、室も左程に惡くは無し、年に似合はず血色のよい、布袋の樣に肥滿《ふと》つた、モウ五十近い氣丈の主婦《おかみ》も、外見《みかけ》によらぬ親切者、女中は小さいのを合せて三人居た。私が移った晩の事、身體の馬鹿に大きい、二十四五の、主婦《おかみ》にも劣らず肥滿《ふと》つた小さい眼と小さい鼻を掩ひ隱す程頬骨が突出て居て、額の極めて狹い、氣の毒を通越して滑稽に見える程不恰好な女中が來て、一時間許りも不問語《とはずがたり》をした。夫に死なれてから、一人世帶を持つて居て、釧路は裁縫料《したてちん》の高い所であれば、毎月|若干宛《いくらかづゝ》の貯蓄もして居たのを、此家の主婦《おかみ》が人手が足らぬといふので、強《たつ》ての頼みを拒み難く、手傳に來てからモウ彼是半年になると云つた樣な話で、「普通《たゞ》の女中ぢやない。」と
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