いふ事を、私に呑込ませようとしたらしい。後で解つたが、名はお芳と云つて、稼ぐ時は馬鹿に稼ぐ、怠《なまけ》る時は幾何《いくら》主婦《おかみ》に怒鳴られても平氣で怠ける、といふ、隨分|氣紛《きまぐ》れ者であつた。
 取分けて此下宿の、私に氣に入つたのは、社に近い事であつた。相應の賑ひを見せて居る眞砂町の大逵《おほどほり》とは、恰度《ちやうど》背中合せになつた埋立地の、兩側|空地《あきち》の多い街路を僅か一町半許りで社に行かれる。
 社は、支廳坂から眞砂町を突切つて、海岸へ出る街路の、トある四角《よつかど》に立つて居て、小さいながらも、ツイ此頃落成式を擧げた許りの、新築の煉瓦造、(これが此社に長く居る人達の北海道に類が無いと云ふ唯一つの誇りであつた。)澄み切つた冬の空に、燃える樣な新しい煉瓦の色の、廓然《くつきり》と正しい輪廓を描いてるのは、何樣《なにさま》木造の多い此町では、多少の威嚴を保《たも》つて見えた。主筆から見せられた、落成式の報告見たいなものの中に、「天地一白の間に紅梅一朶の美觀を現出したるものは即ち我が新築の社屋なり。」と云ふ句があつて、私が思はず微笑したのを、今でも記憶《おぼ
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