更白かつた。戀に泣かぬ女の眼は若い。
踊が濟んだ時、一番先に「巧い。」と胴間聲を上げて、菊池君はまた人の目を引いた。「實に巧い、モ一つ、モ一つ。」と雀躍《こをどり》する樣にして云つた小松君の語が、三四人の反響を得て、市子は再立つ。
此度のは、「權兵衞が種蒔けや烏がほじくる。」とか云ふ、頗る道化たもので「腰付がうまいや。」と志田君が呟いて居たが、私は、「若し藝妓の演藝會でもあつたら此妓を賞めて書いてやらう。」と云つた樣な事を、醉うた頭に覺束なく考へて居た。
踊の濟むのを機會に飯が出た。食ふ人も食はぬ人もあつたが、飯が濟むと話がモウ勢《はず》んで來ない。歸る時、誰やらが後から外套を被《か》けて呉れた樣だつたが、賑やかに送り出されて、戸外《そと》へ出ると、菊池君が、私の傍へ寄つて來た。
『左の袂、左の袂。』
と云ふ。私は、何を云ふのかと思ひ乍ら、袂に手を入れて見ると、何かしら柔かな物が觸つた。モウ五六間も門口の瓦斯燈から離れてよくは見えなかつたが、それは何か美しい模樣のある淡紅色《ときいろ》の手巾《ハンカチ》であつた。
『ウワッハハハ。』と大きな聲で笑つて、菊池君は大跨に先に立つて行つたが、怎やら少しも醉つて居ない樣に見えた。
休坂《やすみざか》を下りて眞砂町の通りへ出た時は、主筆と私と八戸君と三人|限《きり》になつて居た。『隨分贅澤な會を行《や》りますねえ。』と私が云ふと、
『ナニあれでも一人一圓五十錢位なもんです。藝者は何の料理屋でも、ロハで寄附させますから。』と主筆が答へた。私は何だか少し不愉快な感じがした。
一二町歩いてから、
『可笑《をかし》な奴でせう、君。』
と主筆が云ふ。私は、市子の事ぢやないかと、一寸|狼狽《うろた》へたが、
『誰がです?』
と何氣なく云ふと、
『菊池ツて男がさ。』
『アッハハハ。』
と私は高く笑つた。
三
翌日は日曜日、田舍の新聞は暢氣《のんき》なもので、官衙や學校と同じに休む。私は平日《いつも》の如く九時頃に眼を覺した。恐ろしく喉が渇《かは》いて居るので、頭を擡げて見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]したが、下に持つて行つたと見えて鐵瓶が無い。用の無いのに起きるのも詰らず、寒さは寒し、さればと云つて床の中で手を拍つて、女中を呼ぶのも變だと思つて、また仰向になつた。幸ひ其處へ醜女《みたくなし》の
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