座を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]したが、私とは斜に一番遠い、末席の空席に悠然《ゆつたり》と胡坐《あぐら》をかく。
 皆は、それとなく此人の爲す所を見て居たが、菊池君は兩手に膝頭を攫《つか》んで、俯向いて自分の前の膳部を睨んで居るので、誰しも話しかける機會を失つた。私は、空になつて居た盃を取上げて、「今來た方へ。」と市子に渡した時、志田君も殆ど同時に同じ事を云つて盃を市子に渡した。市子は二つ捧げて立つて行つたが、
『彼方《あつち》のお方からお取次で厶います。』
『誰方《どなた》?』
と、菊池君は呟《つぶや》く樣に云つて顏を擧げる。
『アノ』と、私を見た盃を隣へ逸らして、『志田さんと仰しやる方。』
 菊池君は、兩手に盃を持つた儘、志田君を見て一寸頭を下げた。
『モ一つは其お隣の、…………橘さん。』と目を落す。
 菊池君は私には叩頭《おじぎ》をして、滿々と酌を享けたが、此|擧動《やうす》は何となく私に興を催させた。
 放浪漢《ごろつき》みたいなと主筆が云つた。成程、新聞記者社會には先づ類の無い風采で、極く短く刈り込んだ頭と、眞黒に縮れて、乳の邊まで延びた頬と顋の鬚が、皮肉家に見せたら、顏が逆さになつて居るといふかも知れぬ。二十年も着古した樣で、何色とも云へなくなつた洋服の釦が二つ迄取れて居て、窄袴《ずぼん》の膝は、兩方共、不手際に丸く黒羅紗のつぎ[#「つぎ」に傍点]が當ててあつた。剩へ洋襪《くつした》も足袋も穿いて居ず、膝を攫んだ手の指の太さは、よく服裝と釣合つて、放浪漢《ごろつき》か、土方の親分か、何れは人に喜ばれる種類の人間に見えなかつた。然し其顏は、見なれると、鬚で脅して居る程ではなく、形の整つた鼻、澁みを帶びて威のある眼、眼尻に優しい情が罩《こも》つて、口の結びは少しく顏の締りを弛めて居るけれど、若し此人に立派な洋服を着せたら、と考へて、私は不意に、河野廣中の寫眞を何處かで見た事を思出した。
 菊池君から四人目、恰度《ちやうど》私と向合つて居て、藝妓を取次に二三度盃の献酬をした日下部君は、時々此方を見て居たが、遂々《とう/\》盃を握つて立つて來た。ガッシリした身體を市子と並べて坐つて不作法に四邊を見※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]したが、
『高い聲では云へぬけれど。』と低くもない聲で云つて、
『僕も新參者だから、新しく來た
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