宿屋の一室で、友人の剃刀《かみそり》を持ってきて夜半ひそかに幾度となく胸にあててみた……ような日が二月も三月も続いた。
そうしてるうちに、一時脱れていた重い責任が、否応《いやおう》なしにふたたび私の肩に懸《かか》ってきた。
いろいろの事件が相ついで起った。
「ついにドン底に落ちた」こういう言葉を心の底からいわねばならぬようなことになった。
と同時に、ふと、今まで笑っていたような事柄が、すべて、きゅうに、笑うことができなくなったような心持になった。
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そうしてこの現在の心持は、新らしい詩の真の精神を、初めて私に味わせた。
「食《くら》うべき詩」とは電車の車内広告でよく見た「食うべきビール」という言葉から思いついて、かりに名づけたまでである。
謂《い》う心は、両足を地面《じべた》に喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういうことは詩を既定のある地位から引下すことであるかもし
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