な態度で書いたところの詩でなければ、私は言下《げんか》に「すくなくとも私には不必要だ」ということができる。そうして将来の詩人には、従来の詩に関する知識ないし詩論は何の用をもなさない。――たとえば詩(抒情詩)はすべての芸術中最も純粋なものであるという。ある時期の詩人はそういう言をもって自分の仕事を恥かしくないものにしようと努めたものだ。しかし詩はすべての芸術中最も純粋なものだということは、蒸溜水《じょうりゅうすい》は水の中で最も純粋なものだというと同じく、性質の説明にはなるかもしれぬが、価値必要の有無の標準にはならない。将来の詩人はけっしてそういうことをいうべきでない。同時に詩および詩人に対する理由なき優待をおのずから峻拒《しゅんきょ》すべきである。いっさいの文芸は、他のいっさいのものと同じく、我らにとってはある意味において自己および自己の生活の手段であり方法である。詩を尊貴なものとするのは一種の偶像崇拝《ぐうぞうすうはい》である。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直
前へ 次へ
全20ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング