心をもって詩を書きかつ読むいわゆる愛詩家、および自己の神経組織の不健全なことを心に誇る偽患者《にせかんじゃ》、ないしはそれらの模倣者《もほうしゃ》等、すべて詩のために詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。むろん詩を書くということは何人にあっても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」という不必要な自覚が、いかに現在において現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつつあるか。
すなわち真の詩人とは、自己を改善し自己の哲学を実行せんとするに政治家のごとき勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家のごとき熱心を有し、そうしてつねに科学者のごとき明敏なる判断と野蛮人《やばんじん》のごとき卒直なる態度をもって、自己の心に起りくる時々刻々の変化を、飾らず偽らず、きわめて平気に正直に記載《きさい》し報告するところの人でなければならぬ。
記載報告ということは文芸の職分の全部でないことは、植物の採集分類が植物学の全部でないと同じである。しかしここではそれ以上の事は論ずる必要がない。ともかく前いったような「人」が前いったよう
前へ
次へ
全20ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング