の問題についていおうと思う。最も手取早《てっとりばや》くいえば私は詩人という特殊なる人間の存在を否定する。詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支《さしつかえ》ないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当《だとう》を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落《だらく》する……我々に不必要なものになる。詩人たる資格は三つある。詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。第二に「人」でなければならぬ。第三に「人」でなければならぬ。そうしてじつに普通人のもっているすべての物をもっているところの人でなければならぬ。
いい方がだいぶ混乱したが、一|括《かつ》すれば、今までの詩人のように直接詩と関係のない事物に対しては、興味も熱心も希望ももっていない――餓《う》えたる犬の食を求むるごとくにただただ詩を求め探している詩人は極力|排斥《はいせき》すべきである。意志薄弱なる空想家、自己および自己の生活を厳粛《げんしゅく》なる理性の判断から回避している卑怯者、劣敗者の心を筆にし口にしてわずかに慰めている臆病者、暇ある時に玩具《おもちゃ》を弄《もてあそ》ぶような
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