分はたゞ單に、ヲートルローの大戰で誤つて一眼を失つたのだらう位に考へて、敢て其爲めに千古の眞骨頭ナポレオン・ボナパルトの颯爽たる威風が、一毫たりとも損ぜられたものとは信じなんだのである。或は却つて一段の秋霜烈日の嚴を増したのではないかと思つた。
忠太は體を横に開いて、ヒョコリと頭を下げる。や否や、逃ぐるが如く出て行つてしまつた。
天が下には隱家《かくれが》もなくなつて、今|現身《げんしん》の英傑は我が目前咫尺の處に突兀として立ち給うたのである。自分も立ち上つた。
此時、自分は俄かに驚いて叫ばんとした。あはれ千載萬載一遇の此月此日此時、自分の双眼が突如として物の用に立たなくなつたのではないか。これ程劇甚な不幸は、またとこの世にあるべきでない。自分は力の限り二三度|瞬《またゝ》いて見て、そして復《また》力の限り目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。然しダメである。ヲートルローの大戰に誤つて流彈の爲めに一眼を失なひ、却つて一段秋霜烈日の嚴を加へた筈のナポレオン・ボナパルトは、既に長《とこ》しなへに新田耕助の仰ぎ見るべからざるものとなつたのである。自分の大きく※[#
前へ
次へ
全71ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング