「目+爭」、第3水準1−88−85]つた目は今、數秒の前千古の英傑の立ち止つたと思うた其同じ處に、悄然として塵塚の痩犬の如き一人物の立つて居るのを見つめて居るのだ。實に天下の奇蹟である。いかなる英傑でも死んだ跡には唯骸骨を殘すのみだといふ。シテ見れば、今自分の前に立つてゐるのは、或はナポレオンの骸骨であるのかも知れない。
 よしや骸骨であるにしても、これは又サテ/\見すぼらしい骸骨である哩《わい》。身長五尺の上を出る事正に零寸零分、埃と垢で縞目も見えぬも木綿の袷を着て、帶にして居るのは巾狹き牛皮の胴締、裾からは白い小倉の洋袴《ズボン》の太いのが七八寸も出て居る。足袋は無論|穿《は》て居ない。髮は二寸も延びて、さながら丹波栗の毬《いが》を泥濘路《ぬかるみ》にころがしたやう。目は? 成程獨眼龍だ。然しヲートルローで失つたのでは無論ない。恐らく生來《うまれつき》であらう。左の方が前世に死んだ時の儘で堅く眠つて居る。右だつて完全な目ではない。何だか普通の人とは黒玉の置き所が少々違つて居るやうだ。鼻は先づ無難、口は少しく左に歪《ゆが》んで居る。そして頬が薄くて、血色が極めて惡い。これらの道具立の
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