金僅か六錢五厘では、いくら慣れた貧乏でも誠に心細いもんですよ。それに、宿から借りて居た自炊の道具も皆返して了ふし、机も何もなくなつてるし、薄暗い室の中央《まんなか》に此不具な僕が一人坐つてるのでせう。平常《ふだん》から鈍い方の頭が昨夜の故でスッカリ勞れ切つてボンヤリして、「老父《おやぢ》が死んで、これから乞食をして國へ歸るのだ」といふ事だけが、漠然と頭に殘つてるんです。此漠然とした目的も手段も何もない處が、無性に悲しいんで、たゞもう聲を揚げて泣きたくなるけれども、聲も出ねば涙も出ない。何の事なしにたゞ辛くて心細いんですネ。今朝飯を喰はなかつたので、空腹ではあるし、國の事が氣になるし、昨夜《ゆうべ》の黒玉をつかんで無暗に頬ばつて見たんです。
『それから愈々出掛けたんですが、一時頃でしたらう、天野君の家へ這入つたのは。天野君も以前は大抵夜分でなくては家に居なかつたのですが、學校を罷《や》めてからは、一日外へ出ないで、何時でも蟄居《ちつきよ》して居るんです。』
『天野は罷めたんですか、學校を?』
『エ? 左樣々々、君はまだ御存じなかつたんだ。罷めましたよ、到頭。何でも校長といふ奴と、――僕も二三度見て知つてますが、鯰髭《なまづひげ》の隨分|變梃《へんてこ》な高麗人《かうらいじん》でネ。その校長と素晴しい議論をやつて勝つたんですとサ。それでに二三日經つと突然免職なんです。今月の十四五日の頃でした。』
『さうでしたか。』と自分は云つたが、この石本の言葉には、一寸顏にのぼる微笑を禁じ得なかつた。何處の學校でも、校長は鯰髭の高麗人で、議論をすると屹度《きつと》敗《ま》けるものと見える。
 然し此微笑も無論三秒とは續かなかつた。石本の沈痛なる話が直ぐ進む。
『學校を罷めてからといふもの、天野君は始終考へ込んで許り居たんですがネ。「少し散歩でもせんと健康が衰へるんでせう。」といふと、「馬鹿ツ。」と云ふし、「何を考へて居るのです。」ツて云へば、「君達に解る樣な事は考へぬ。」と來るし、「解脱《げだつ》の路に近づくのでせう。」なんて云ふと、「人生は隧道《トンネル》だ。行くところまで行かずに解脱の光が射してくるものか。」と例の口調なんですネ。行つた時は、平生《いつも》のやうに入口の戸が閉《しま》つて居ました。初めての人などは不在かと思ふんですが。戸を閉めて置かないと自分の家に居る氣がしないと
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