雲は天才である
石川啄木
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)平常《いつも》の如く
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)K停車|場《ぢやう》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「丿+臣+頁」、第4水準2−92−28]《あご》の
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ハッ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一
六月三十日、S――村尋常高等小學校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常《いつも》の如く極めて活氣のない懶《もの》うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが學校教師の單調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既《はや》四時近いのであらうか。といふのは、田舍の小學校にはよく有勝《ありがち》な奴で、自分が此學校に勤める樣になつて既に三ヶ月にもなるが、未《いま》だ嘗て此時計がK停車|場《ぢやう》の大時計と正確に合つて居た例《ためし》がない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遲れて居ましたと、土曜日毎に該《がい》停車場から程遠くもあらぬ郷里へ歸省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の辯明によると、何分此校の生徒の大多數が農家の子弟《してい》であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢い始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、實際は、勤勉なる此邊《このへん》の農家の朝飯は普通の家庭に比して餘程早い。然し同僚の誰《たれ》一人、敢て此時計の怠慢に對して、職務柄にも似合はず何等|匡正《きやうせい》の手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遲くなるなら格別、一|分《ぷん》たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども實は、幾年來の習慣で朝寢が第二の天性となって居るので……
午後の三時、規定《おきまり》の授業は一時間前に悉皆《すつかり》終つた。平日《いつも》ならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査《しらべ》もあるし、それに今日は妻《さい》が頭痛でヒドク弱つてるから可成《なるべく》早
次へ
全36ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング