恐ろしい沈默が續いた。四人の職員は皆各自の卓子に割據して居た。この沈默を破つた一番鎗は古山|朴《ほう》の木である。
『其歌は校長さんの御認可を得たのですか。』
『イヤ、決して、斷じて、許可を下した覺えはありませぬ。』と校長は自分の代りに答へて呉れる。
自分はケロリとして煙管を啣《くは》へ乍ら、幽かな微笑を女教師の方に向いて洩した。古山もまた煙草を吸ひ始める。
校長は、と見ると、何時の間にか赤くなつて、鼻の上から水蒸氣が立つて居る。『どうも、餘りと云へば自由が過ぎる。新田さんは、それあ新教育も享けてお出でだらうが、どうもその、少々身勝手が過ぎるといふもんで……。』
『さうですか。』
『さうですかツて、それを解らぬ筈はない。一體その、エート、確か本年四月の四日の日だつたと思ふが、私が郡視學さんの平野先生へ御機嫌伺ひに出た時でした。さう、確かに其時です。新田さんの事は郡視學さんからお話があつたもんだで、遂《つい》私も新田さんを此學校に入れた次第で、郡視學さんの手前もあり、今迄は隨分私の方で遠慮もし、寛裕《おほめ》にも見て置いた譯であるが、然し、さう身勝手が過ぎると、私も一校の司配を預かる校長として、』と句を切つて、一寸反り返る。此機を逸《はづ》さず自分は云つた。
『どうぞ御遠慮なく。』
『不埓《ふらち》だ。校長を屁とも思つて居らぬ。』
この聲は少し高かつた。握つた拳で卓子をドンと打つ、驚いた樣に算盤が床へ落ちて、けたゝましい音を立てた。自分は今迄校長の斯う活氣のある事を知らなかつた。或は自白する如く、今日迄は郡視學の手前遠慮して居たかも知れない。然し彼の云ふ處は實際だ。自分は實際此校長位は屁とも思つて居ないのだもの。この時、後の障子に、サと物音がした。マダム馬鈴薯が這ひ出して來て、樣子如何にと耳を濟まして居るらしい。
『只今伺つて居りました處では、』と白ツぱくれて古山が口を出した、『どうもこれは校長さんの方に理がある樣に、私には思はれますので、然し新田さんも別段お惡い處もない、唯その校歌を自分勝手に作つて、自分勝手に生徒に教へたといふ、つまり、順序を踏まなかつた點が、大に、イヤ、多少間違つて居るのでは有るまいかと、私には思はれます。』
『此學校に校歌といふものがあるのですか。』
『今迄さういふものは有りませんで御座んした。』
『今では?』
今度は校長が答へた。『現
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