の自分と話が合はない。自分から云はせると、校長と謂ひ此男と謂ひ、營養不足で天然に立枯になつた朴《ほう》の木の樣なもので、松なら枯れても枝振《えだぶり》といふ事もあるが、何の風情もない。彼等と自分とは、毎日吸ふ煙草までが違つて居る。彼等の吸ふのは枯れた橡《とち》の葉の粉だ、辛くもないが甘くもない、香もない。自分のは、五匁三錢の安物かも知れないが、兎に角正眞正銘の煙草である。香の強い、辛い所に甘い所のある、眞の活々した人生の煙だ。リリーを一本吸うたら目が※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて來ましたつけ、と何日か古山の云うたのは、蓋し實際であらう。斯くの如くして、自分は常に職員室の異分子である。繼《まま》ツ子である、平和の攪亂者と目されて居る。若し此小天地の中に自分の話相手になる人を求むれば、それは實に女教師一人のみだ。芳紀やゝ過ぎて今年正に二十四歳、自分には三歳の姉である。それが未《ま》だ、獨身で熱心なクリスチァンで、讃美歌が上手で、新教育を享けて居て、思想が先づ健全で、顏は? 顏は毎日見て居るから別段目にも立たないが、頬は桃色で、髮は赤い、目は年に似はず若々しいが、時々判斷力が閃めく、尋常科一年の受持であるが、誠に善良なナースである。で、大抵自分の云ふ事が解る。理のある所には屹度《きつと》同情する。然し流石に女で、それに稍々思慮が有過《ありす》ぎる傾があるので、今日の樣な場合には、敢て一言も口を出さない。が、其眼球の輕微なる運動は既に十分自分の味方であることを語つて居る。況んや、現に先刻この女が、自分の作つた歌を誰から聞いたものか、低聲に歌つて居たのを、確かに自分は聽いたのだもの。
さて、自分は此處で、かの歌の如何にして作られ、如何にして傳唱されたかを、詳《つまび》らかに説明した。そして、最後の言葉が自分の脣から出て、校長と首座と女教師と三人六箇の耳に達した時、其時、カーン、カーン、カーン、と掛時計が、懶氣に叫んだのである。突然『アーア』といふ聲が、自分の後《うしろ》、障子の中から起つた。恐らく頭痛で弱つて居るマダム馬鈴薯が、何日もの如く三|歳《つ》になる女の兒の帶に一條の紐を結び、其一端を自身の足に繋いで、危い處へやらぬ樣にし、切爐《きりろ》の側に寢そべつて居たのが、今時計の音に眞晝の夢を覺されたのであらう。『アーア』と又聞えた。
三秒、五秒、十秒、と
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