ある。誠に完全な「無意義」である。若し強いて嚴格な態度でも裝はうとするや最後、其結果は唯對手をして一種の滑稽と輕量な憐愍の情とを起させる丈だ。然し當人は無論一切御存じなし、破鐘の欠伸《あくび》する樣な訥辯は一歩を進めた。『貴男《あなた》に少しお聞き申したい事がありますがナ。エート、生命《いのち》の森の……。何でしたつけナ、初の句は?(と首座訓導を見る、首座は、甚だ迷惑といふ風で默つて下を見た。)ウン、左樣々々、春まだ淺く月若き、生命《いのち》の森の夜の香に、あくがれ出でて、……とかいふアノ唱歌ですて。アレは、新田さん、貴男《あなた》が祕《ひそ》かに作つて生徒に歌はせたのだと云ふ事ですが、眞實《ほんと》ですか。』
『嘘です。歌も曲も私の作つたには相違ありませぬが、祕かに作つたといふのは嘘です。蔭仕事は嫌ひですからナ』
『デモさういふ事でしたつけね、古山さん先刻《さつき》の御話では。』と再び隣席の首座訓導を顧みる。
 古山の顏には、またしても迷惑の雲が懸つた。矢張り默つた儘で、一|閃《せん》の偸視《ぬすみみ》を自分に注いで、煙を鼻からフウと出す。
 此光景を目撃して、ハヽア、然うだ、と自分は早や一切を直覺した。かの正々堂々赤裸々として俯仰天地に恥づるなき我が歌に就いて、今自分に持ち出さんとして居る抗議は、蓋し泥鰻金藏閣下一人の頭腦から割出したものではない。完《まつ》たく古山と合議の結果だ。或は古山の方が當の發頭人であるかも知れない。イヤ然うあるべきだ、この校長一人丈けでは、如何《どう》して這※[#「麻かんむり/「公」の「八」の右を取る」、第4水準2−94−57]《こんな》元氣の出る筈が無いのだもの。一體この古山といふのは、此村土着の者であるから、既に十年の餘も斯うして此學校に居る事が出來たのだ。四十の坂を越して矢張五年前と同じく十三圓で滿足して居るのでも、意氣地のない奴だといふ事が解る。夫婦喧嘩で有名な男で、(此點は校長に比して稍々温順の美徳を缺いて居る。)話題と云へば、何日《いつ》でも酒と、若い時の經驗談とやらの女話、それにモ一つは釣道樂、と之れだけである。最もこの釣道樂だけは、この村で屈指なもので、既に名人の域に入つて居ると自身も信じ人も許して居る。隨つて主義も主張もない、(昔から釣の名人になるやうな男は主義も主張も持つてないと相場が極つて居る。)隨つて當年二十一歳
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