は滅多に見たことが無いと言つた。君、松永の肋骨が二本足らないんだとさ。』
『それは松永が何時か言つてたよ。』
『さうか。醫者は屹度七月頃だらうと言ふんさ。今迄生きてゐたのが寧ろ不思議なんださうだ。それに松永の病氣は今度が二度目だつて言ふぜ。』
『へえ!』
『尤も本人は知らんさうだ。醫者が聞いた時もそんな覺えは別に無いと言つたさうだね。何でも肺病といふ奴は、身體の力が病氣の力に勝つと、病氣を一處に集めてそれを傳播させないやうに包んで了ふやうな組織になるんだつてね。醫者の方のテクニックでは何とか言つたつけ――それが松永の右肺に大分大きい奴があるんだとさ。自分の知らないうちに病氣をしてるなんて筈は無いつて僕が言つたら、醫者が笑つてたよ。貴方のお家だつて、貴方の知らないうちに何度泥棒に覘はれたか知れないぢやありませんかつて。』
『ふむ。すると今度はそれが再發したんか?』
『再發すると同時に、左の方ももう大分侵されて來たさうだ。彼《あ》の身體で、彼《あ》の病氣で、咯血するやうになつたらもう駄目だと言ふんだ。長くて精々三月、或は最初のから咯血から一月と保《も》たないかも知れないと言ふんだ。――人間の生命なんて實に劍呑なもんだね。ふつと吹くと消えるやうに出來てる。――』
私はとかうの言葉も出なかつた。
何故高橋が、それから後、松永に對して彼《あ》れだけの親切を盡したか? それは今だに一つの不思議として私の胸に殘つてゐる。松永と高橋とは決して特別の親しい間《なか》ではなかつた。また高橋は美術といふものに多くの同情を有つてゐる男とも見えなかつた。「畫を描《か》いたり、歌を作つたりするのは、僕には子供らしくて兎てもそんな氣になれない。」さう言ふ言葉を私は何度となく聞いた。そして、松永が高橋と同じやうな思想を有つてゐたとも思はれず、猶更二人の性格が相近かつたとは言はれない。にも拘らず、その頃高橋の同情は全く松永一人の上に傾け盡されてゐた。暇さへあれば彼は、市ヶ谷の奧の松永の家へ毎日のやうに行つてゐる風だつた。
初めは我々は多少怪んでも見た。やがて慣れた。そして、松永に關する事はすべて高橋に聞くやうになつた。彼も亦松永の事といへば自分一人で引受けてゐるやうに振舞つた。脈搏がいくら、熱が何度といふことまで我々に傳へた。「昨日は松永を錢湯に連れてつてやつた。」そんなことを言つてることもあつた。
或日私はまた高橋に廊下へ連れ出された。應接間は二つとも塞がつてゐたので、二人は廊下の突當りの不用な椅子などを積み重ねた、薄暗い處まで行つて話した。其處には晝ながら一疋の蚊がゐて、うるさく私の顏に纒つた。
『おい、松永は到頭咯血しちやつた。』さう彼は言つた。
醫者が患者の縁邊《みより》の者を別室に呼んで話す時のやうな、事務的な調子だつた。
『遂々《とう/\》やつたか?』
言つて了つてから、私は、今我々は一人の友人の死期の近づいたことを語つてゐるのだと思つた。そして自分の言葉にも、對手の言葉にも何の感情の現れてゐないのを不思議に感じた。
それから彼は、松永を郷里へ還すべきか、否かに就いて、松永一家の事情を詳しく語つた。不幸な畫工には、父も財産も無かつたが、郷里には素封家の一人に數へられる伯父と、小さいながら病院を開いてゐる姉婿とがあつた。彼の母は早くから郷里へ歸るといふ意見だつたが、病人は何うしても東京を去る氣が無く、去るにしても、房州か、鎌倉、茅ヶ崎邊へ行つて一年も保養したいやうな事ばかり言つてゐたといふ。
『それがね。』と高橋は言つた。『僕は松永の看護をしてゐて色々貴い知識を得たが、田舍で暮らした老人を東京みたないな處へ連れて來るのは、一寸考へると幸福なやうにも思はれるが、さうぢやないね。寧ろ悲慘だね。知つてる人は無し、風俗が變つてるし、それに第一言葉が違つてる。若い者なら直ぐ直つちまふが、老人はさうは行かない。松永のお母さんなんか、もう來てから足掛四年になるんださうだが、まだ彼の通り藝州辯まる出しだらう? 一寸町へ買物に行くにまで、笑はれまいか、笑はれまいかつておど/\してゐる。交際といふものは無くね。都會の壓迫を一人で脊負つて、毎日、毎日自分等の時代と子供の時代との相違を痛切に意識してるんだね。』
『そんな事も有るだらうね。僕の母なんかさうでも無いやうだが。』
『それは人にもよるさ。――それに何だね、松永君は豫想外に孤獨な人だね。彼《あ》あまでとは思はなかつたが、僕が斯うして毎日のやうに行つてるのに、君達の外には誰も見舞に來やしないよ。氣の毒な位だ。畫の方の友達だつて一人や、二人は有つても可《よ》ささうなもんだが、殆ど無いと言つても可い。境遇が然らしめたのだらうが、好んで交際を絶つてゐたらしい傾きも有るね。彼《あ》の子と彼《あ》の御母さんと――齡が三十も違つてゐてね。――毎日淋しい顏を突き合はしてゐるんだもの、彼んな病氣になるも無理は無いと僕は思つた。』
『それで何か、松永君はまだ畫の方の野心は持つてるんだね?』
『それがさ。』高橋は感慨深い顏色をした。
『隨分苦しい夢を松永君も今まで見てゐたんだね。さうして其の夢の覺め際に肺病に取つ附かれたといふもんだらう。』
『今はもう斷念したんか?』
『斷念した――と言つて可いか、しないと言つて可いか。――斷念しようにも斷念のしようが無いといふのが、松永君の今の心ぢやないだらうか?』
『さうだらうね。――誰にしてもさうだらうね。』
言ひながら私は、壁に凭れて腕組みをした。耳の邊には蚊が唸つてゐた。
『此の間ね。』高橋は言ひ續《つ》いだ。『何とかした拍子に先生莫迦に昂奮しちやつてね、今の其の話を始めたんだ。話だけなら可いが、結末《しまひ》にや男泣きに泣くんだ。――天分の有る者は誰しもさうだが、松永君も自分の技術に就いての修養の足らんことは苦にしなかつたと見えるんだね。さうして大きい夢を見てゐたんさ。B――の家から破門された時が一番得意な時代だつたつて言つてたよ。それから其の夢が段々毀れて來たんで、止《よ》せば可いのに第二の夢を見始めたんだね。作家になる代りに批評家になる積りだつたさうだ。――それ、社でよく松永君に展覽會の批評なんか書かしたね。あんなことが何《いづ》れ動機だらうと思ふがね。――ところが松永君は、いくら考へても自分には、將來の日本畫といふものは何んなもんだか、まるで見當が附かんと言ふんだ。さう言つて泣くんだ。つまり批評家に成るにも批評の根底が見附からないと言ふんだね。焦心《あせ》つちや可かんて僕は言つたんだが、松永君は、焦心《あせ》らずにゐられると思ふかなんて無理を言ふんだよ。それもさうだらうね。――松永君は日本畫から出て油畫に行つた人だけに、つまり日本畫と油畫の中間に彷徨してるんだね。尤もこれは松永君ばかりぢやない、明治の文明は皆それなんだが。――』
聞きながら私は妙な氣持に捉はれてゐた。眼はひたと對手の顏に注ぎながら、心では、健康な高橋と死にかゝつてゐる肺病患者の話してゐる樣を思つてゐた。額に脂汗を浸ませて、咳入る度に頬を紅くしながら、激した調子で話してゐる病人の衰へた顏が、まざ/\と見える樣だつた。そして、それをじろ/\眺めながら、ふん/\と言つて臥轉んでゐる高橋が、何がなしに殘酷な男のやうに思はれた。
さうした高橋に對する反感を起す機會が、それから一週間ばかり經つてまた有つた。それは松永が退社の決心をして、高橋に連れられて社に來た時である。私は或る殺人事件の探訪に出かけるところで、玄關まで出て私の車夫を呼んでゐると、恰度二人の俥が轅を下した。松永はなつかしさうな眼をしながら、高橋の手を借りて俥から下りた。そして私と向ひ合つた。私はこの病人の不時の出社を訝《いぶか》るよりも、先づ其の屋外の光線で見た衰弱の甚だしさに驚いた。朝に烈しい雷鳴のあつた日で、空はよく霽れてゐたが、何處か爽かな凉しさがまだ空氣の中に殘つてゐた。
私は手短かに松永の話を聞いた、聲に力は無かつたが、顏ほど陰氣でもなく、却つて怡々《いそ/\》してゐるやうなところもあつた。病氣の爲に半分生命を喰はれてゐる人とは思はれなかつた。
『そんなにしなくたつて可ささうなもんだがなあ。秋になつて凉しくなれば直ぐ恢復するさ。』
私はそんな風に言つて見た。
『病氣が病氣ですからねえ。』
『醫者も秋になつたらつて言ふんだ。』と高橋は言つた。
『だから松永君も僕も、轉地は先《ま》あ病氣の爲に必要な事として、茅ヶ崎あたりが可いだらうつて言ふんだが、御母さんが聞かん。松永君も何だよ、先《ま》あ夏の間だけ郷里で暮らす積りで歸るんだよ。』
『それにしても、退社までしなくつたつて可いぢやないか?』
『それは此の病人の主張だから、爲方が無いんだ。今出て來る時まで僕は止めたんだけれど、頑として聞かん。』
『ははは。』と松永は淋しい笑ひ方をした。
それから二、三分の間話して私は俥に乘つた。そして七八間も挽き出した頃に、振り返つて見たが、二人の姿はもう玄關に見えなかつた。その時私は、何といふこともなく、松永の彼《あ》の衰へ方は病氣の所爲《せゐ》ではなくて、高橋の殘酷な親切の結果ではあるまいかといふやうな氣がした。醫學者が或る病毒の經過を兎のやうな穩しい動物によつて試驗するやうに、松永も亦高橋の爲に或る試驗に供されてゐたのではあるまいかと……。
後に聞いたが、編輯長は松永の退社に就いて、最初|却々《なか/\》聞き入れなかつたさうだ。半年なり、一年なり緩《ゆつく》り保養してゐても、社の方では別に苦しく思はない、さう言つたさうだ。松永は大分それに動かされたらしかつた。然し遂に退社した。
間もなく我々は、もう再び逢はれまじき友人と其の母とを新橋の停車場に送つた。其の日高橋はさつぱり口を利かなかつた。そして一人で切符を買つたり、荷物を處理したりしてゐた。やがて我々はプラットフォームに出た。松永の母は先づ高橋にくど/\と今までの禮を述べた。それから我々にも一人々々にそれを繰り返した。恰度私の番が濟んだ時だつた。不圖私は高橋の顏を見た。――高橋は側を向いて長い欠伸をしてゐた。そして急がしく瞬きした。涙のやうなものが兩眼に光つた。
汽車が立つて了つて、我々はプラットフォームを無言の儘に出た。そして停車場の正面の石段を無言の儘に下りた。
『ああ。』高橋は投げ出すやうな調子で背後《うしろ》から言つた、
『松永も遂々行つちやつたか!』
『やつたのは君ぢやないか?』
安井が調戯《からか》ふやうに言つて振り返つた。
『僕がやつた? 僕にそれだけの力が有るやうに見えるか?』
安井は氣輕な笑ひ方をして、『誰か松永君の寫眞を持つてる者は無いか? 何時か一度撮つとくと可かつたなあ。』
『劍持のところに、松永の畫いた鉛筆の自畫像があつた筈だ。』と私が言つた。
其の日我々の連中で見送りに來なかつたのは、前の日から或事件の爲に鎌倉へ出張してゐる劍持だけであつた。
五
『龜山君、君は碁はやらないのか?』
高橋は或日編輯局で私にさう言つた。松永に別れて、四、五日經つた頃だつた。
『碁は些《ちつ》とも知らん。君はやるか?』
『僕も知らん。そんなら五目竝べをやらうか? 五目竝べなら知つとるだらう?』
『やらうか。』
二人は卓子の上に放棄《うつちや》らかしてあつた碁盤を引き寄せて、たわいの無い遊戯を始めた。恰度我々外勤の者は手が透いて、編輯机の上だけが急がしい締切時間間際だつた。
側には逢坂がゐて、うるさく我々の石を評した。二人は態《わざ》と逢坂の指圖の反對にばかり石を打つた。勝負は三、四囘あつた。高橋は逢坂に、
『どうだ、僕等の五目竝べは商賣離れがしてゐて却つて面白いだらう?』と調戯《からか》つた。
『何をしとるんぢや、君等は?』言ひながら劍持が來て盤の上を覗いた。『ほう、何といふこつちや! 髯を生やして子供の眞似をしとるんか?』
『忙中閑ありとは此の事よ。君のやうに賭碁をやるやうに墮落しちや、かういふ趣味は解らんだらう?』と私は笑つた。
『生意氣
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