我等の一團と彼
石川啄木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)可《い》かんぞ

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(例)大分|徹《こた》へるんだ。

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(例)ぢり/\と
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      一

 人が大勢集つてゐると、おのづから其の間に色分けが出來て來る――所謂黨派といふものが生れる。これは何も珍らしいことではないが、私の此間までゐたT――新聞の社會記者の中にもそれがあつた。初めから主義とか、意見とかを立てゝ其の下に集つたといふでもなく、又誰もそんなものを立てようとする者もなかつたが、ただ何時からとなく五、六人の不平連がお互ひに近づいて、不思議に氣が合つて、そして、一種の空氣を作つて了つたのだ。
 先づ繁々往來をする。遠慮のない話をする。内職の安著述の分け合ひをする。時々は誘ひ合つて、何處かに集まつて飮む。――それだけのことに過ぎないが、この何處かに集まつて飮む時が、恐らく我々の最も得意な、最も樂しい時だつた。氣の置ける者はゐず、酒には弱し、直ぐもう調子よく醉つて來て、勝手な熱を吹いては夜更かしをしたものだ。何の、彼のと言つて騷いでるうちには、屹度社中の噂が出る。すると誰かが、赤く充血した、其の癖何處かとろんとした眼で一座を見廻しながら、慷慨演説でもするやうな口調で、「我黨の士は大いにやらにや可《い》かんぞ。」などと言ひ出す。何をやらにや可かんのか、他《はた》から聞いては一向解らないが、座中の者にはよく解つた。少くとも其の言葉の表してゐる感情だけは解つた。「大いに然り。」とか、やるともとか即座に同意して了ふ。さあ、斯うなると大變で、何《ど》れも此れも火の出る樣な顏を突き出して、明日にも自分等の手で社の改革を爲遂げて見せるやうなことを言ふ。平生から氣の合はない同僚を、犬だの、黴菌だの、張子《はりこ》だの、麥酒罎だのと色々綽名をつけて、糞味噌に罵倒する。一人が小皿の縁を箸で叩きつけて、「一體社では我々紳士を遇するの途を知らん。あんな品性の下劣な奴等と一緒にされちや甚だ困る。」と力み出すと、一人は、胡座《あぐら》をかいた股の間へ手焙《てあぶ》りを擁《かゝ》へ込んで、それでも足らずにぢり/\と蹂《にじ》り出しながら、「さうぢや。徒らに筆を弄んで食を偸む。のう文明の盜賊とは奴等の事《こつ》ちや。社會の毒蟲ぢや。我輩不敏といへども奴等よりはまだ高潔な心をもつとる。學問をせなんだ者は眞に爲樣がないなあ。」と酒臭い息を吹いてそれに應ずる。――そして我々は、何時誰が言ひ出したともなく、自分等の一團を學問黨と呼んでゐた。
 尤も、醉ひが醒めて、翌日になつて[#「翌日になつて」は底本では「翌日なつて」]出勤すると、嵐の明くる朝と同じことで、まるで樣子が違つた。誰を見てもけろりと忘れたやうな顏をして濟ましてゐる。「昨夜は愉快ぢやつたなあ。」と偶に話しかけてみても、相手はただ、「うむ。」と言つて妙な笑ひ方をして見せる位のことだ。命令が出ると何處へでも早速飛び出して行つた。惡い顏をする者もなければ、怠ける者もなかつた。他の同僚に對しても同じで、殊更に輕蔑するの、口を利かぬのといふことはしない。ただ少し冷淡だといふに過ぎない。が、何か知ら事があると、連中のうちで、紙片を圓めたのを投げてやつて、眼と眼を見合はせて笑ふとか、不意に脊中をどやしつけて、それに託《かこづ》けて高笑ひをする位のことはやつた。意氣地がないと言へばそれまでだが、これは然しさうあるべき筈だつた。反對派と言つた所で、何も先方が此方に對抗する黨派を結んでゐたといふでもない。言はば、我々の方で勝手に敵にしてゐただけの話だ。自分等が自分等の意見を行ふ地位にゐないといふ外には、社に對してだつて別に大した不平を持つてゐたのでもないのだから。――それに、之は餘り人聞きの好いことではないが、T――新聞は他の社より月給や手當の割がずつと好かつた……
 この「我が黨の士」の中に、高橋彦太郎といふ記者があつた。我々の間では年長者の方で、もう三十一、二の年齡をしてゐたが、私よりは二、三箇月遲れて入社した男だつた。先づ履歴から言ふと、今のY――大學がまだ專門學校と言つてゐた頃の卒業生で、卒業すると間もなく中學教師になり、一年ばかり東北の方に行つてゐたらしい。それから東京へ歸つて來て、或政治雜誌の記者になり、實業家の手代になり、遂々《とう/\》新聞界に入つて、私の社へ來る迄に二つ、三つの新聞を歩いた。――ざつとこんなものだが、詳しいことは實は私も知らない。一體に自分に關した話は成るべく避けてしない風の男だつた。が、何かの序に、經濟上の苦しみだけは學生時代から隨分甞めたやうなことを言つたことがある。地方へ教師になつたのは、恩のある母(多分繼母だつたらう)を養ふ爲で、それが死んだから早速東京へ歸つたのだといふ話も聞いたやうに記憶してゐる。細君もあり、子供も三人かあつたが、何處で何うして結婚したのか、それは少しも解らない。此方から聞いて見ても、「そんな下らぬ話をする奴があるものか。」といふやうな顏をして、てんで對手にならなかつた。第一我々の仲間で、その細君を見たといふ者は一人もない。郊外の、しかも池袋の停車場から十町もあるといふ處に住んでゐて、人を誘つて行くこともなければ、又、いくら勸めてももつと近い處へは引越して來なかつた。
 最初半年ばかりは、社中にこれといふ親友も出來たらしく見えなかつた。何方かと言へば口が重く、それに餘り人好きのする風采でもないところへ、自分でも進んで友を求めるといふやうな風はなかつた。「高橋さあん。」と社會部の編輯長が呼ぶと、默つて立つて其の前へ行く。「はい」と言つて命令を聞き取る。上等兵か何かが上官の前に出た時のやうだ。渡された通信の原稿を受け取つて來て、一通り目を通す。それから出懸けて行く。急《せ》くでもない、急かぬでもない、他の者のやうに、「何だ、つまらない。」といふやうな顏をすることもなければ、目を輝かして、獲物を見附けた獵犬のやうに飛び出して行くこともない。電話口で交換手に呶鳴りつけることもなければ、誂へた辨當が遲いと言つて給仕に劍突《けんつく》を喰はせることもない。そして歸つて來て書く原稿は、若い記者のよくやるやうな、頭つ張りばかり強くて、結末に行つて氣の拔けるやうなことはなく、穩《おとな》しい字でどんな事件でも相應に要領を書きこなしてあるが、其の代り、これといふ新しみも、奇拔なところもない。先づ誰が見ても世慣れた記者の筆だ。書いて了ふと、片膝を兩手で抱いて、頸窩《ぼんのくぼ》を椅子の脊に載せて、處々から電燈の索の吊り下つた、煙草の煙りで煤びた天井を何處といふことなしに眺めてゐる。話をすることもあるが、話の中心になることはない。猶更子供染みた手柄話などをすることはなかつた。つまり、一口に言へば、何一つ人の目を惹くやうなところの無い、或は、爲《し》ない男だつた。
 私も、この高橋に對しては、平生餘り注意を拂つてゐなかつた。同じ編輯局にゐて、同じ社會部に屬してゐたからには、無論毎日のやうに言葉は交はした。が、それはたゞ通り一遍の話で、對手を特に面白い男とか、厭な男とか思ふやうな機會は一度もなかつた。これは一人私ばかりでもなかつたらしい。ところが或時、例の連中、(其の頃漸く親しくなりかけた許りだつたが、)が或處に落ち合つて、色々の話の末に、社中の誰彼の棚下しを始めた。先づ上の方から、羽振りの好い者から、何十人の名が大抵我々の口に上つた。其の中に高橋の噂も出た。
『おい、あの高橋といふ奴な、彼奴も何だか變な奴だぜ。』と一人が言つた。
『さうぢやのう。僕も彼奴に就いちや考へとるんぢやが、一體あの男あ彼《あ》の儘なんか、それとも高く留まつてるんか?』
『高く留まつてるんでもないね。』と他の一人が言つた。
『何うもさうではないやうだね。あれで却々親切なところがあるよ。僕は此間の赤十字の總會に高橋と一緒に行つたがね。』
 最初の一人は、『それは彼奴は色んな事を知つとるぜ。何時か寒石老人と説文の話か何かしとつた。』
『さうぢや。僕も聞いとつた。何しろ彼の男あ一癖あるな。第一まあ彼《あ》の面《つら》を見い。ぽかんとして人の話を聞いとるが、却々《なか/\》油斷ならん人相があるんぢや。』
 斯う言つたのは劍持といふ男だつた。皆は聲を合はせて笑つたが、心々に自分の目に映つてゐる高橋の風采を思ひ浮かべてみた。中脊の、日本人にしては色の黒い、少しの優しみもないほどに角ばつた顏で、濃い頬髯を剃つた痕が何時でも青かつた。そして其の眼が――私は第一に其の眼を思ひ出したので――小い、鋭い眼だつた。そして言つた。
『一癖はあるね、確かに。』
 然し、それは言ふまでもなく眞《ほん》の其の時の思ひ附きだつた。
 劍持はしたり顏になつて、『僕はな、以前から高橋を注意人物にしとつたんぢや。先づ言ふとな、彼の男には二つの取柄がある。阿諛《おべつか》を使はんのが一つぢや。却々《なか/\》頑としたところがある。そいから、我々新聞記者の通弊たる自己廣告をせん事《こつ》ちや。高橋のべちやくちや喋りをるのは聞いたことがないぢやらう? ところがぢや、僕の經驗に據ると、彼《あ》あした外觀の人間にや二種類ある。第一は、あれつきりの奴ぢや。顏ばかり偉さうでも、中味のない奴ぢや。自己廣告をせなんだり、阿諛を使はなんだりするのは、そんな事する才能がないからなんぢや。所謂見かけ倒しといふ奴ちやな。そいから第二はぢや。此奴は始末に了へん。一言にして言ふと謀反人ぢやな。何か知ら身分不相應な大望をもつとる。さうして常に形勢を窺うとる。僕の郷里の中學に體操教師があつてな、其奴が體操教師の癖に、後になつて解つたが、校長の椅子を覘つとつたんぢや。嘘のやうぢやが嘘ぢやない。或時其の校長の惡口が土地の新聞に出た、何でも藝妓を孕ましたとか言ふんぢや。すると例の教師が體操の時間に僕等を山に連れて行つて、大きな松の樹の下に圓陣を作らしてなあ、何だか樣子が違ふ哩《わい》と思つとると、平生とはまるで別人のやうな能辯で以つて、慷慨激越な演説をおつ始めたんぢや。君達四年級は――其の時四年級ぢやつた――此の學校の正氣《せいき》の中心ぢやから、現代教育界の腐敗を廓清する爲にストライキをやれえちふんぢや。』
『やつたんか?』
『やつた。さうして一箇月の停學ぢや。體操の教師は免職よ。――其奴がよ、何處か思ひ出して見ると高橋に肖《に》とるんぢや。』
『すると何か、彼の高橋も何か大望を抱いてゐると言ふのか?』
『敢てさうぢやない。敢てさうぢやないが、然し肖とるんぢや。實に肖とるんぢや。高橋がよく煙草の煙をふうと天井に吹いとるな? あれまで肖《に》とるんぢや。』
『其の教師の話《はなし》[#「話」は底本では「語」]は面白いな。然し劍持の分類はまだ足らん。』最初高橋の噂を持ち出した安井といふのが言つた。
『あんな風の男には、まだ一つの種類がある。それはなあ、外ではあんな具合に一癖ありさうに、構へとるが、内へ歸ると細君の前に頭が擧《あが》らん奴よ。しよつちゆう尻に布かれて本人も亦それを喜んでるんさ。愛情が濃かだとか何とか言つてな。彼《あ》あして鹿つべらしい顏をしとる時も、奚《なん》ぞ知らん細君の機嫌を取る工夫をしとるのかも知れんぞ。』
 これには皆吹き出して了つた。啻に吹き出したばかりでなく、大望を抱いてゐるといふ劍持の觀察よりも、毎日顏を合はせながら別に高橋に敬意をもつてゐたでもない我々には、却つて安井の此の出鱈目が事實に近い想像の樣にも思はれた。
 が、翌日になつて見ると、劍持の話した體操教師の語《はなし》[#「話」は底本では「語」]が不思議にも私の心に刻みつけられたやうに殘つてゐた。それは私自身も、
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