ことなく
蜜柑《みかん》の皮の焼くるごときにほひ残りて
夕《ゆふべ》となりぬ

にぎはしき若き女の集会《あつまり》の
こゑ聴《き》き倦《う》みて
さびしくなりたり

何処《どこ》やらに
若き女の死ぬごとき悩《なや》ましさあり
春の霙《みぞれ》降る

コニャックの酔《ゑ》ひのあとなる
やはらかき
このかなしみのすずろなるかな

白き皿《さら》
拭《ふ》きては棚《たな》に重《かさ》ねゐる
酒場の隅《すみ》のかなしき女

乾きたる冬の大路《おほぢ》の
何処《いづく》やらむ
石炭酸《せきたんさん》のにほひひそめり

赤赤《あかあか》と入日《いりひ》うつれる
河ばたの酒場の窓の
白き顔かな

新しきサラドの皿《さら》の
酢《す》のかをり
こころに沁《し》みてかなしき夕《ゆふべ》

空色《そらいろ》の罎《びん》より
山羊《やぎ》の乳をつぐ
手のふるひなどいとしかりけり

すがた見の
息《いき》のくもりに消されたる
酔《ゑ》ひうるみの眸《まみ》のかなしさ

ひとしきり静かになれる
ゆふぐれの
厨《くりや》にのこるハムのにほひかな

ひややかに罎《びん》のならべる棚《たな》の前
歯《は》せせる女を

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