ある。即ち、彼等はこの宣明をなしたるに拘らず、單にトルストイ翁の非戰論を譯載し、且つ彼等も亦一個の非戰主義者であつたが故に、當時世人から一般にトルストイを祖述する者として取り扱はれ、甚だしきに至つては、日本の非戰論者が主戰論者に對して非人道と罵り、惡魔と呼んで罵詈するのは、トルストイの精神とは全く違ふのだといふやうな非難をさへ蒙つたのである。さうして此非難の發言者は、實に當時トルストイの崇拜者、飜譯者として名を知られてゐた宗教家加藤直士氏であつた。彼は、恰もかの法廷に[#「法廷に」は底本では「法延に」]於ける罪人が、自己に不利益なる證據物に對しては全然關知せざるものの如く裝ひ、或は虚構の言を以て自己の罪を否定せむと試むるが如く、その矛盾極まる主戰論を支持せむが爲には、トルストイ翁が如何に酷烈にその論敵を取り扱ふ人であるかの事實さへも曲庇《きよくひ》して省りみなかつたのである。
若し夫れこの論文それ自身に加へられた他の日本人の批評に至つては、また實に畢竟「日本人」の批評であつた。日本第一流の記者、而して御用紙國民新聞社長たる徳富猪一郎氏は、翁が露國を攻撃した點に對しては、「これ恐らくは
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