ふるに均しければ也。是れ現時の問題を解決し得るの答辯にあらずして、唯だ問題を以て問題に答ふる者に非ずや。」と叫ばざるを得なかつた。(人は盡く夷齊《いせい》に非ず。單に『悔改めよ』と叫ぶこと、幾千萬年なるも、若しその生活の状態を變じて衣食を足らしむるに非ずんば、其|相喰《あひは》み、相搏《あひう》つ、依然として今日の如けんのみ)これは唯物史觀の流れを汲む人々の口から、當然出ねばならぬ言葉であつた。かくてかの記者は進んで彼等自身の戰爭觀を概説し、「要するにトルストイ翁は、戰爭の原因を以て個人の墮落に歸す、故に悔改めよと教へて之を救はんと欲す。吾人社會主義者は、戰爭の原因を以て經濟的競爭に歸す、故に經濟的競爭を廢して之を防遏せんと欲す。」とし、以て兩者の相和すべからざる相違を宣明せざるを得なかつた。
この宣明は、然しながら、當時の世人から少しも眼中に置かれなかつた。この一事は、他の今日までに我々に示された幾多の事實と共に、日本人――文化の民を以て誇稱する日本人の事實を理解する力の如何に淺弱に、さうしてこの自負心強き民族の如何に偏狹なる、如何に獨斷的なる、如何に厭ふべき民族なるかを語るもので
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 啄木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング