謔ウそうに娯しんでいるようだ。畑から大根を引くとき、長い根がじりじりと土から離れてゆくのを手に感じるのは悪くないものだが、それよりも心をひかれるのは、土を離れた大根が、新鮮な白い素肌のままで、畑の畦に投げ出された刹那である。身につけたものを悉く脱ぎすてて、狡そうな画家の眼の前に立ったモデル女の上気した肌の羞恥を、そのまま大根のむっちりした肉つきに感じるのはこの時で、あの多肉根が持つなだらかな線と、いたいたしいまでの肌の白さと、抽き立てのみずみずしさとは、観る人にこうした気持を抱かせないではおかない。唯大根の葉っぱに小さな刺があるのは、ふっくらした女の手首に、粗い毛の生えているのを見つけたようなもので、どうかすると接触の気味悪さを思わしめないこともない。
銭舜挙の筆だと伝えられたものに、大根と蟹とを配合して、鋭い線で描き上げた小幅を見たことがあった。怪奇な蟹の形相に顫えている、白い純潔な肉の痛々しい恐怖が、いまだに頭に残っている。
3
玉菜が、そのむかし海岸植物として、潮の香のむせるような断崖に育ち、終日白馬のように躍り狂う海を眺めて暮していたのは、真っ直に土におろした根の深さと、肉の厚い葉の強健さとでも知られることだ。あの大きな掌面《てのひら》をいくつもいくつも重ね合せて、大事そうに胸に抱いた円い球のなかには、一体何がしまわれているのだろう。静脈の痕ありありと読まれるその掌面を、一つ一つ丹念にめくってゆくと、最後に小さな貝殻のような葉っぱの外には、何一つ残されていないのに気がつくかなしさ。上の葉は下の葉に無理強いにおっかぶせようとし、下の葉はそれを跳ね返して、明るい太陽の方へ手を伸そうとする希望はもちながらも、ある強い力に支配せられて、自分より下の葉には、また同じようにおっかぶせようとしている。その重みと力とが互に咬み合い、互に抱きあって、なかに閉じ込められた葉は、永久に太陽を見ぬいらだたしさ。――私は玉菜を見る度に、いつもそうした胸苦しさを、何よりも先に感じないわけにゆかない。
4
里芋は着物を剥がれて、素っ裸のまま、台所の片隅に顫えている時よりも、親芋と一緒に土から掘り出されるおりの方が、ずっとおどけていて、趣きがあるようだ。親芋の大きな尻をとりまいて、多くの兄弟たちが、てんでに毛だらけなからだをすり寄せているのを見ると、小さな生物のような気がして、尻っ尾のないのが不思議なくらいのものだ。
土だらけの里芋の皮を削り落そうとするとき、どうかすると指先が痒くてたまらなくなるのは、玉葱や辣薤《らっきょう》を手にするときに、眼のうちが急に痛くなるのと同じように、土から生れたものの無言の皮肉である。
今から二十四、五年前に、私は徳富健次郎氏と連れ立って、大阪道頓堀の戎橋の上を通っていたことがあった。大跨に二、三歩先を歩いていた徳富氏は、急に立ちとまって背後をふり返った。
「薄田さん。あなたお弟子をお持ちですか。」
「弟子――そんなものは持ちませんよ。」
その頃やっと二十五、六だった私に、弟子などあろうはずがなかった。
「それで安心しました。どうかなるべく弟子なぞもたないようにして下さい。子芋が出来ると、とかく親芋の味がまずくなるものですからね。」
徳富氏はこう言って、またすたすたと歩き出した。
私はその後、それと気づかないでえぐ芋を口に含んだときには、すぐに徳富氏のこの言葉を思い出して、
「青道心《あおどうしん》の小坊主め。お前一人は親の味をよう盗まなかったのか。気の毒な奴だな。」
と、苦笑いさせられたことがよくある。
5
籠に盛られた新鮮な白菜をみるとき、私はまず初冬の夜明の空気の冷さを感じ、葉っぱの縮緬皺にたまった露のかなしい重みを感じ、また葉のおもてをすべる日光の猫の毛のような肌ざわりの柔かさを感じるが、その次の瞬間には、すぐこの野菜が塩漬にせられた後の、歯ざわりの心よさを感じぬわけにゆかない。
ちょうど赤楽の茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]を手にした茶人が、その釉薬のおもしろみに、火の力を感じると同時に、その厚ぼったい口あたりに、茶を啜るときの気持よさを感じるのと同じようなものだ。
どうにも仕方がない。
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栗
今日但馬にいる人のところから、小包を送って来た。手に取ると、包みの尻が破けていて、焦茶色の大粒の栗の実が、四つ五つころころと転がり出した。
「いよう。栗だな。丹波栗だ……。」
私は思わず叫んだ。そしてその瞬間、子供のように胸のときめきを覚えた。
どれもこれも小鳥のように生意気に嘴《くちばし》を尖らし、どれもこれも小肥りに肥って、はち切れそうに背を円くしている。
焦茶色の肌は、太陽の熱をむさぼるように吸って、こんがりと焼け上った気味だ。
唐木机の脚、かぶと虫の兜、蟋蟀の太腿――強健なものは、多くの場合に焦茶色にくすぶっている。
夏末に雑木林を通ると、頭の上に大きな栗の毬《いが》がぶら下っているのを見かけることがよくある。爆ぜ割れた毬の中から、小さな栗の実が頭を出してきょろきょろしているのは、巣立ち前の燕の子が、泥の家から空をうかがっているようなもので、その眼はもの好きと冒険とに光っているが、燕の母親がその雛っ児たちを容易には巣の外へ飛出させないように、胸に抱えた子供たちの向う見ずな慾望を知っている栗の毬は、滅多に自分のふところを緩めようとはしない。
殻《から》のなかに閉じ籠って、太陽を飽食している栗の実は、日に日に肉づいて往って、われとわが生命の充実し、内圧する重みにもちこたえられなくなって来る。
実《み》が殻から離れゆく秋が来たのだ。内部の強い動きから、毬はおのずと大きく爆ぜ割れる。
向う見ずの栗の実は、「まだ見ぬ国」にあくがれて、われがちに殻から外へ飛び出して来る。焦茶色の頭巾をかぶった燕の子の巣立ちである。
あるものは静かに枯葉の上に落ち、あるものは石にぶっつかり、かちんと音を立てて、跳ねかえりざま、どこかに姿をかくしてしまう。――どちらにしても、親木の立っている場所から八尺とは離れていない。彼らはそれを少しも悔まない。彼らにとって、ともかくもそこはまだ見ぬ国なのである。焦茶色の外皮の堅さは、こんな場合にもかすり傷一つ負わさない。
私はこんなことを思いながら、栗の実の二つ三つを噛んで、それを火鉢の灰に埋めた。灰のなかからぷすぷすと煙がいぶり出して来た。
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老樹
1
南メキシコの片田舎に、世界で一番古いだろうと言われる老木が立っている。それはすばらしく大きな糸杉《サイプレス》で、幹の周囲が百二十六|呎《フィート》、樹齢はごく内輪に見積っても、まず六千年は請合だと言われている。
私の住んでいる西宮をあまり離れていない六甲村に、今度天然記念物となった大きな樟樹がある。幹の周囲三十八尺六寸、根もとの周囲六十四尺にあまるすばらしいもので、樹齢はざっと千三百年にはなるだろうということだ。その附近に住んでいる、今年七十二才の前田某という老人の言葉によると、今から六十年ほど前、老人が十二、三才の頃には、この木の幹に張るしめ縄の長さが、五|尋《ひろ》くらいで足りたものが、今では六尋も要るので、千幾百年も経ってこんな大きさになっていながら、まだ成長をやめないのかと、唯もう驚かれるばかりだということだ。
六千年といえば、長い人類の歴史をも遥か下の方に見くだして、その頭は闇い「忘却」のかなたに入っている。その間樹は絶えず成長を続けて来たのだ。その脚の下には大地を踏《ふま》え、肩の上には天を支えて微塵の動ぎをも見せない巨柱のように衝っ立ってはいるが、樹は一瞬の間も休みなく変化を続けて、その大きさを増しているのだ。すべての草花は、その短い一生の間に、自分の全重量のざっと二百倍もの水分を土のなかから吸収するといわれているが、この巨木が六千年の間昼夜をすてず、大地のなかから吸い上げた養いが、どれほど大きなものであったろうかは、誰にも思いやられることだ。その養いは数知れぬ青い葉となって日光に呼吸し、すぐよかな枝となって空に躍り、また鯨の背のような厚ぼったい樹皮となり、髄となりして、今も尚六千年のむかし、土から柔かい双葉を持ち上げた、その頃の生命の新鮮さを失わないでいる。
人間はものの数ではない。神よりも強健で、神よりも生命が長い。――そんなものが一つ、まだ見ぬメキシコの森林に存在することを思うだけでも、私の心は波のように踴躍する。
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台所のしめじ茸
1
十月中頃のある日の午後二時過ぎ、水が飲みたくなって台所へおりて往った。天気が好いので、家のものたちは皆外へ出て往った後で、そこらはひっそりとしていた。
窓を洩れる西日が、明るく落ちている板敷に、新らしい歯朶《しだ》の葉を被せかけた笊《ざる》がおいてあるのが眼についた。そっとその葉をとりのけてみると、朽葉のかけらを頭に土ぼこりを尻っぺたにこびりつけた菌《きのこ》が、少し前屈みになった内ぶところに、頭の円い小坊主を幾つか抱え込んで、ころころと横になっていた。
「おう。しめじ茸か。しばらくだったな。」
私は久方ぶりに友達に逢ったようにこう思って、その一つを取り上げてみた。冷たい秋の山のにおいが、しっとりと手のひらに浸み入るようだった。
私はよく雑木山のなかで、しめじ茸を見つけたことがあった。この菌は狐のたいまつなどが、湿っぽい土地に一人ぽっちで立っているのと違って、少し乾《かわ》いたところに、大勢の仲間と一緒に出ている。私は黄ばみかかった落葉樹の下で、この菌の胡粉を塗ったような白い揃いの着付で、肩もすれずれに円舞を踊っているのを見たことがあった。また短い芝草の生えた緩い傾斜で、勢揃いでもしているように、朽葉色の蓋《かさ》を反らして、ずらりと一列に立ち並んでいるのを見たこともあった。どんな場合にも、一つびとつ離ればなれに孤独を誇るようなことがなく、いつも朋輩のなかに立ち交って、群居生活を娯んでいるのが、このしめじ茸の持って生れた本性であるらしい。私はそれを思って、この菌を採る場合には、あとに残されたものの寂しさを憐んで、頭の円い小坊主だけは、出来るだけ多くそのままにしておいたものだが……
蟋蟀が鳴いている。竈のうしろかどこかから、懶そうな声が途切れ途切れに聞えて来る。
「それ、虫が鳴いている。お前と俺と二人にとって、那奴《あいつ》はむかし馴染だったな。」
私はもとのように歯朶の葉をそっと菌に被せかけた。そして日光のこぼれている板敷から、少し側の方へ笊を押しやった。
2
いつだったか、渡辺崋山の草虫帖の一つに、菌をとり扱っているのを見たことがあった。枯木の幹を横さまに、その周囲に七つ八つの椎茸を描いたもので、円い太腿をした蟋蟀が二つ配《あしら》ってあった。画面の全体が焦茶色の調子でひきしめられていたが、枯れ朽ちた椎の木の上皮に養いを取って、かりそめの生を心ゆくばかり娯しんでいる菌の気持が、心にくいまでよく出ていたことを覚えている。
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客室の南瓜
1
南瓜――といえば、以前は薬食いとして冬まで持ち越し、または年を越させたものだが、米国産の細長いつるくび南瓜や、朱色の肌をした平べったい金冬瓜や、いろんな恰好をしたコロンケットなどが、娯みに栽培せられるようになってから、南瓜は秋から冬を通じて、客間の装飾としても用いられるようになった。
私は奈良興福寺にある名高い木彫の天灯鬼が、左肩に載せた灯を左手で支えて、ぐっと身体をひねっている姿や、その相手の龍頭鬼が龍を首に巻きつかせたまま、灯を頭に載せ、両手を組み、白い眼をむいているのを見るのが好きだ。鬼というものをこんなにまで写生風に取扱って、それに溢れるばかりの感情を盛った作者の腕前に心から驚歎させられるが、それと同時に、この小鬼たちに対して友だちのような心安さから、そ
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