@雑人の一人が、横合から冷かし気味にこんなことをいったものだ。すると、神様は陽気に笑い出した。
「は、は、は、は。詩人達が牛のように吼えるものかどうかは知らぬが、確かに牛のように角突き合いはよくするものらしいね。ところで、先生方――。」神様の詩人達に対する言葉は皮肉になった。「先生方の詩論とやらは、いずれは高尚で結構ずくめなものだろうが、それも処と相手とを吟味した上でなくっては。今夜のところはこのままさらりと水に流そう。が、その代り以後はちと場所柄をわきまえるようにしてもらいたいものだて。」
それを聞くと、雑人方は、草の枯葉が共擦れするような、微かな気配を立ててひそめき出した。若い漁師は眼をつぶらにして社廟をふり仰いで見た。青白い月明りが薄絹のようにたよたよと顫えている後壁の隙間から、魚の腹のような冷い燐火が、三つ四つ続けさまにふらふらと飛び出したかと思うと、その瞬間、
「き、き……。」
と二十日鼠の笑うような声が低く聞き取られたように思った。
その後から、青と赤との衣を着た人がのっそりと二人出て来た。詩人だなと思って、若い漁師は伸び上るようにしてその顔を見ていたが、それが誰だったかに気がつくと、慌てて首をすくめて眼を伏せた。
「何だ。那奴《あいつ》じゃないか。こないだ鳶が空から取落した奴を、松江の鱸だといって、うまく騙して売りつけてやった、あの露次裏の老ぼれじゃないか。」
詩人二人は、そんなことに気がつこうはずがなく、口の中で何かぶつくさぼやきながら、霧の中に見えなくなってしまった。
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樹木の不思議
1
今日久しぶりに岡山にいる友人G氏が訪ねて来た。そして手土産だといって梨を一籠くれた。梨は一つずつ丁寧に二重の薄紙に包まれていたが、その紙をめくってみるとなかからは黄熟した肌の滑っこい、みずみずしい大粒の実が現われた。
梨好きな私は、早速その一つを皮をむかせて食べてみた。きめの細かい肉は歯ざわりがさくさくとして、口の中に溶け込むように軽かった。
「うまいね、この梨。ことしの夏は京都、奈良、鳥取と方々の果樹園のものを食べてみたが、こんなうまいのは始めてだよ。」
「実際うまいだろう。皆がそう言っている……。」と客はさも満足そうにいって、口もとに軽い微笑の影を漂わせた。「うまいはずだよ。これには不思議な力が籠っているんだから……。」
「不思議な力。」私はいぶかしそうにG氏の顔を見た。
「まったく不思議なんだ。それはこう言う訳なんだがね。」
G氏は落ついた句調で、ぽつりぽつりと次のようなことを話した。
2
岡山を西へ一里半ばかり離れた田舎に、かなり広い梨畑をもった農夫があった。どうしたものか、いつの年も咲き盛った花の割合に、実のとまりが極く少く、とまった果実もそれが熟れる頃になると、妙に虫がついて、収穫として畑よりあがるものは、ほんの僅かしかなかった。年毎の損つづきに気を腐らした農夫は、いっそ梨畑を掘り返して、そのあとに何か新しいものを植えつけてみたらと思った。で、いつもこんな場合に、いい分別を貸してもらうことになっている神道――教会の教師を訪ねて、その相談をもちかけた。いうまでもなく、農夫はその教会のふるい信徒の一人だった。
農夫の口から委細を聞いた教師は、気むつかしく首をふった。
「梨畑を掘り返すにはまだ早い。もっと御祈念を積みなさい。」
「御祈念はいたしとります。」
農夫の言葉つきには、どこかに不足らしいところがあった。
「何と言って御祈念している……。」
「神様。どうぞ私の梨畑を……。」
気後れがするらしく、口のなかで言う農夫の言葉を、教師は皆まで聞かなかった。
「私の梨畑だと。お前さんにそんなものはないはずだ。何もかも一切神様にお返ししなさい、といって聞かせたことをもう忘れているね。」
それを聞くと、農夫は両手を膝の上へ、頭を垂れたまま、悄気《しょげ》かえったようにじっと考え込んでいたが、暫くすると、
「いや、よくわかりました。私が間違っておりました。」
と、丁寧に教師に挨拶をして帰って往った。
その日から農夫の心は貧しくなった。彼は一切のものを神に返した。毎朝鋏と鍬とをもって梨畑へ出かけると、いつもきまったように樹の下に立って、
「神様。これからあなたの畑で働かせていただきます。もしか梨の実がみのって、少しでも余分のものがおありでしたら、そのときには盗人や虫におやりになる前に、まず私にいただかせて下さいますように。」
と、真心を籠めて祈念した。そして自分の畑を自分の手で処理するといったようなこれまでの気儘な態度をあらためて、自分はただこの畑の世話をするために雇われた貧しい働き人の一人に過ぎないような謙遜な気もちで、一切を自然にまかせっきりにして、傍からそっと草を抜き、肥料を施しなどした。
こうは思いあらためたものの、農夫は心の奥でその結果について幾らかの不安を抱かないわけではなかったが、次の夏が来て、梨の実がみのる季節になると、彼は不思議なものを見せつけられて、心の底から驚嘆した。
一度は掘り返して火に焼いてしまおうと思った、やくざな梨畑の樹という樹は、枝も撓《たわ》むばかりに大きな果実を幾つとなくつけているのであった。
3
「その不思議な梨畑に出来たのが、実はこれなんだよ。」
客のG氏はこう言って、自分が持って来た果物籠から、梨の実の一つを取出したかと思うと、皮をもむかないで、いきなりそれに噛みついた。
4
こんな話がむかしにも一つある。
足利時代に又四郎という庭造りの名人があった。庭造りというと、今も昔も在り来りの型より外には、何一つ知らぬ輩のみ多いが、又四郎はそんなのとは異って、文字もあり、する仕事にも、それぞれちゃんとした典拠があったようだ。
あるとき又四郎が、さる寺方から頼まれて、築山を造ったことがあった。その仕事振を見ようとして、住職がぶらりと庭へ出てみると、不思議なことには滝頭《たきがしら》が西へとってあった。
住職は合点が往かなかった。
「滝頭を西にとったのはおかしい。すべてどんなものでも、頭は東にあるのが、本当じゃなかろうか。」
「ごもっともさまで。……すべて滝頭を東にとりますのは、庭造りの極った型でございます。」又四郎は答えた。「が、それは在家の庭のことで、寺方のになりますと、滝頭を西にとった方が、かえって本当かと思われます、むかしから仏法東漸と申しまして……。」
「仏法東漸か。なるほどそう聞けば、それも尤なようだて。」
住職は笑って納得するより外には仕方がなかった。
同じ頃に、蘭坡和尚という禅僧があった。和尚は自坊の境内に一段の風致を加えるために、枝ぶりのいい松を五、六株植えたことがあった。程経て気がついてみると、松の葉は赤く枯れかかっていた。和尚は衰えた松の薬には酒がいいことを聞いていたが、酒は自分にも二つとない好物だったので、いくら松のためとは言い条、それを譲るわけにはゆかなかった。和尚はかねて懇意な間柄だったので、又四郎に相談をもちかけた。
「見らるるとおり、あのように松が枯れかけて来た。何かいい薬はないものかしら。」
「薬はいろいろあるにはあります。が、どれもこれもあまり効力《ききめ》といってはないようです……。」
又四郎は赤ちゃけた松の葉を見上げながら冷やかに答えた。
「あまり効力がない。それは困ったものだな。」
和尚はさも当惑したように円い頭をふった。頭の上では松の樹が勢のない溜息をついて、同じように枝をふったらしかった。又四郎は言った。
「そんな薬よりも、ずっと効力が見えるものが一つあります。もっともこれは私の秘伝でございますが……。」
「そうか。秘伝と聞けば、なお更それを聞きたいものだて。」
「それは、和尚さま、お経にある文句なのです。」
又四郎は口もとに軽い微笑を浮べて言った。
「お経の文句。それはどのお経にある。」
和尚の眼はものずきに燃えていた。
「観音経のなかの、
[#ここから2字下げ]
※[#「澎」の「彡」に代えて「寸」、第3水準1−87−17]甘露法雨
滅除煩悩焔
[#ここで字下げ終わり]
という文句です。あの文句を紙に書いて、そっと樹の根に埋めておきますと、霊験はあらたかなものです。枯れかけた樹の色が、急に青々と若返って来ます。」
又四郎は枯れかけた当の松の樹にも、立ち聞きせられるのを気遣うように、声を低めて言った。
「いかさま。これはいいことを教えてもらった。」
和尚のよろこびは一通りではなかった、彼はいそいそと自分の居間に帰って往ったが、暫くすると、折り畳んだ紙片を掌面に載せてまた出て来た。
「又四郎どの。御面倒だが、それじゃこの紙片を土に埋めて下さい。」
又四郎は受取った紙片をそっとおし拡げてみていたが、すぐまたそれを和尚の手に返した。
「和尚さま。※[#「澎」の「彡」に代えて「寸」、第3水準1−87−17]甘露法雨の※[#「澎」の「彡」に代えて「寸」、第3水準1−87−17][#「※[#「澎」の「彡」に代えて「寸」、第3水準1−87−17]」に白丸傍点]の字が樹[#「樹」に白丸傍点]になっていますよ。」
「ほい。わしとしたことが、これは失敗ったな。」
和尚は頭を撫でて高く笑った。
文字はすぐに書きあらためられて、又四郎の手で松の根もとに埋められた、そしてそのまま捨ておかれた。
枯れかけた松の色は、やがてまた青くなり出した。
5
何事も自然にまかせて、あまりおせっかいをしないのが、一番いいようだ。
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蔬菜の味
1
元の道士として聞えた画家張伯雨が、あるとき蔬菜の画を描き、それに漢陰園味と題名をつけたことがあった。というのは、むかし、子貢が、丈人と漢陰に出合ったことがあった。そのとき丈人が圃《はたけ》に水をやるのに、御苦労さまにも坑道をつけた井のなかに降りて往き、そこから水甕を抱いて出て来るのを見て、子貢がひどく気の毒がって、そんなまだるっこいことをするよりも、いっそこうしたがよかろうと、槹《はねつるべ》の仕方を伝授したものだ。すると、丈人はむっとした顔をして、ひどく機嫌を損じたらしかった。丈人の嫌がったのは、子貢が心安だての差出口よりも、そんな便利な機械を使う事だった。すべて土に親しんで、蔬菜でも作って楽もうというには、そんな調法な機械をいじくるよりも、どこまでも甕で水を運ぶまだるっこさに甘んじて、その素人くさい労役を味うだけの心がけがなくてはならないが、伯雨はその心持を汲みとって自分の作画に名づけたものだった。後に明の姚雲東がその蔬菜の画を手に入れて、ひどく感心したあまりに、自分でも屋敷のまわりに圃を作り、雑菜の種子を播いて、日々そのなかを耕すようになった。
そして明暮《あけくれ》蔬菜の生長を見て楽んでいるうちに、雲東は自分でも伯雨のまねをしてみずから土に親んで得た園味を思うさま描き現わしてみたいと思うようになった。
九箇月を費してやっと出来上ったのは、名高い雑菜の図で、自分の圃に作ったいろんな野菜の写生画と詩文とに、溢れるような田園の趣味を漂わせたものだった。
伯雨の漢陰園味も、雲東の雑菜の図も、今はどこに伝わっているか知る由もなく、いくら玩賞したいと思ったところで、そんな機会がとても得られるわけのものではないが、私は秀れた作家の手になった蔬菜の図には、ある程度の情熱をさえ感じる。自分の身近くにころがっている、極めてありふれたものを更に見直して、そのなかに隠れている美に気づき、それに深い愛着をもつのは、誰にとっても極めていいことに相違ない。
2
肥り肉《じし》の女が、よく汗ばんだ襟首を押しはだける癖があるように、大根は身体中《からだじゅう》の肉がはちきれるほど肥えて来ると、息苦しそうに土のなかに爪立をして、むっちりした肩のあたりを一、二寸ばかり畦土の上へもち上げて来る。そして初冬の冷い空気がひえびえと膚にさわるのを、いかにも気持
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