す。旧年はいろいろ……」
尼さんが丁寧に挨拶するのを、老人は「うん、うん」と横柄に鼻であしらつてゐましたが、尼さんが次の間に下つてゆくと、いくらか落ちついた調子で私に話しかけました。
「おい、今の尼さんの左手を見たかい」
「左手ですつて」私はちよつとまごつきました。「左手をどんなにしてゐました。うつかり気がつきませんでしたが」
「馬鹿ぢやのう。何といふうつそりぢや。あの手つきに気がつかないなんて。いつぞや早稲田の島村抱月とやらいふ奴をここに連れてきてやつたが、あいつもお前と同じやうなうつそりで、やつぱり気が付かなんだよ」
老人は得意さうに言つて、私のために尼さんの手つきを説明してくれました。それは左手を膝や畳の上におくをりには、いつも拇指《おやゆび》を中に、残りの指は皆行儀よく折り曲げて、決してぢかに掌面を当てないやうにしてゐると言ふのです。
「左手は客のために用意しておくものぢやから、なるべく汚さないやうにといふ心がけなのぢや。不行儀に育つたお前たちには、とても解るまいが……」
老人はまたしても喚くやうに声を高めましたが、急に気がついたやうにそこらを見廻しました。
「さつきの神
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