戸の奴はどうしたらう。お前知らんかの」
「存じませんよ。本堂までは一緒に来てゐたやうでしたが」
「あいつには外套を持たせてあるのぢやが」
 老人は不安さうに眩きながら、やつとこなと立ち上つて、次の間に捜しに出かけました。私もあとからついてゆきました。紳士の姿はそこにも本堂にも見えませんでしたが、禿げちよろけの老人の外套は折り畳んだまま、お鏡餅の飾つてある小さな経机の上に載せてありました。そして手帖でもちぎつたらしい紙片に、鉛筆で次のやうに書いてありました。
[#ここから3字下げ]
「奉納。 古外套一着。
      口喧しい老人より」
[#ここで字下げ終わり]
 北畠老人は懐中《ふところ》から眼鏡をとり出して、その紙片に眼を落したと思ふと、泣くやうな声で笑ひ出しました。
「あいつめ、老人をわやにしよるわい」
[#地から1字上げ]〔大正15[#「15」は縦中横]年刊『太陽は草の香がする』〕



底本:「泣菫随筆」冨山房百科文庫、冨山房
   1993(平成5)年4月24日第1刷発行
   1994(平成6)年7月20日第2刷発行
底本の親本:「太陽は草の香がする」
   1926(大正
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