ことだらう。私はそれを踏むのが好きだ。素脚《すあし》の足の裏につめたい、やはらかな、擽《くすぐ》るやうな感触を楽しむことができるのも、もうほどなくのことらしい。
 むかし晋の時代に曇始といふ僧があつた。またの名を白足《びやくそく》和尚と呼ばれただけあつて、足の色が顔よりも白く滑らかで、外を出歩く時雨上りの泥水の中をざぶざぶと徒渉《かちわた》りしても、足はそれがために少しも汚されなかつたといふことだ。私の足は和尚のそれとは異《ちが》つて、色が黒く、きめが粗いやうだが、やはらかい若草の葉を踏むと、すぐに緑の色に染まるので、私はそれを見て自分の足の裏からも若やかな春を感じ、春を味はふことができようといふものだ。

        二

 春はすべてのものに強く働きかけようとしてゐる。

 いつの時代のことだつたか、支那に馬明生といふ人があつた。そのころ仙術といふものが流行《はや》つて、それに熟達すると、ながく老といふことを知らないで生きながらへることができるのみか、人間の持つ願望のうちで一番むづかしいといはれる飛翔すらも容易《たやす》くできるといふことを聞いた彼は、早速安期生を訪ねて、弟子入
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