しめたやうに承はつてゐます。私もなるべくなら平易な、耳近い言葉で詩を作りたいと思つてゐましたが、何分日本語は、語彙が貧しく、言葉の音調が淺いものですから、私は適當な語を求めて、知らずしらず新しい造語も試みないことはありませんでした。しかし新造語を試みる前に、まづ同じ内容を含蓄する古語の復活すべきものはなからうかと詮議してみました。私は自分でもあまりに古語の復活沙汰に執着し過ぎたことを知らない譯でもなかつたのですが、やるからには徹底的にやり通すのが、私の性分だものですから………。
『十字街頭』は、『白羊宮』の出版後から明治四十一、二年へかけての作品で、その當時いろんな雜誌に公にはしましたが、單行本に取纏めたのは今度がはじめてゞす。
『街頭』は、京都四條寺町で見た小景です。
『をけら詣』は、極月大晦日の夜、京都八坂神社に、元朝の齋火を貰ひに參詣するものが、道の摺違ひに互ひに見ず知らずの男女に、口を極めて惡態を吐き合ふ事實を辨へた上でないと、何を歌つたのか一寸見當がつき兼ねませう。
『葛城の神』は、島村抱月氏が早稻田文學を主宰し出した明治三十九年七月頃の同誌に載せたものです。役の小角が葛城山
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